愛宕大権現宵宮
2003年(平成15年)7月19日(土)
我家(屋号宮洞家)が別当を務める福泉寺所有の愛宕堂の宵宮、祭礼が7月19日土曜日、午後5時30分より執り行われました。
この祭礼は旧暦6月24日と決まっておりますが、我家と福泉寺にての話し合いで、毎年7月あるいは8月初めの土曜日に行うことが通例となっており、今年は、19日となりました。
例年は、梅雨明けの時期、蝉時雨の中での宵宮となりますが、今年はあいにくの雨模様、しかも肌寒い日でしたが、我家、福泉寺、隣人の、はやちね食堂のご家族、総勢13名、いつもの顔ぶれで執り行われました。 |
この伝承行事を将来継ぐべき?私の長男(小6)が、昼頃から行われている老人ホームの夏祭りの余興として、小学校で取り組んでいる薬研太鼓(やげんだいこ・和太鼓)が出演ということで、自転車で老人ホームへと出かけましたが、午後5時には帰宅のはずがなかなか帰って来ない、雨も降り出し、自家用車で迎えに行くと友達数人で老人ホーム附近の市道を疾走している姿を発見、この分だと20分もすれば家に着くだろうと思い、「早く帰れ」のみの言葉を残して、私は一路、家路を急ぎました。しかし雨も本降りになってきたので思い直して、車で収容して帰ろうと来た道を引き返しましたが、息子達はどこにもいない、果ては立ち寄りそうな場所、帰り道と成り得る道路などを探し回りましたが、行方知れず、時計を見ると午後5時40分、もう愛宕さんがはじまる時間ということで、私は家に帰ってきたのですが、ここでもう5分様子をみましたが、それらしき姿もない、妻にもう一度探しに行くようにお願いして、私ひとり愛宕堂へ向かったのでしたが、既に本日の関係者含み福泉寺住職様のお経ははじまっており別当としては情けない宵宮となってしまいました。
息子は、国道沿いのおもちゃ店に立ち寄ってプラモデルを物色していたということで、愛宕堂でのお経一切が終了してからの到着となり我家族のみ4名が遅刻という顛末です。
参加者
福泉寺 福泉寺住職ご夫妻・副住職
はやちね食堂 店主ご夫妻、若旦那
我家 叔母、母、妻、長女、長男、二女、私
計13名
御神酒が回された後、お堂の扉が閉められ、御神酒あげと称して福泉寺庫裏に場所を移して持ち寄ったご馳走をつまみながら、しばし談笑、今年は何故か「松虫、鈴虫伝説」に関わる話はでませんで、お寺の中の神社について、住職から説明をいただきました。
少し遅れた私でしたが、もう始まっておりました。
お堂での一切は終了、我家族が遅れて到着、あわててお堂の中に入り、御神体に手を合わせる。
今年も少しのハプニングはありましたが、なんとか無事に終了。
また来年の今時期までお堂の扉は閉ざされたままですが、これからも絶やすことなくこの伝承を守っていきたいと思っております。 |
松崎じぇんごトップへ戻る
愛宕神社ということで神式と思われる方もいると思われますが、愛宕大権現の御神体は将軍地蔵、地蔵菩薩で、戦いの神であったとされています。また火防せの神ともされますが、中世の頃は、外敵の侵入を防ぐ目的から領内の見晴らしのよい丘、山間に建立するのが常で後に外敵ばかりではなく、全般的な災いを防ぐものとして崇められたともいわれています。
愛宕大権現は地蔵菩薩がその本体であるので、仏教によるものとの解釈できますが神仏習合を遂げ、早くから修験者等によって関東、東北地方にも広がりをみせ、我家が別当を務める愛宕堂は、鎌倉期の建立といわれ遠野地頭職阿曽沼氏の代官、宇夫方氏によるものと伝えられています。