遠野の石・木・銅像
 (モニュメント)?
管理人のお得意の独断と偏見にて、ご紹介する遠野の石像・木像、銅像、これらに類するもの・・・まだまだございますが、その中でも厳選しまして、ご紹介いたします・・・・笑

柳田國男先生1875〜1962
明治8年(1875)兵庫県生まれ、農商務省、貴族院書記官を経て、朝日新聞社に入り勤務のかたわら全国を旅し、民俗学研究、調査を行い、その業績は柳田民俗学とも呼ばれ、日本民俗学の祖とされる。
明治43年刊行の「遠野物語」は日本民俗学誕生を告げる逸品と位置付けされる。
自身も明治42年8月、待望の遠野入りを果し、前年の明治41年11月4日、柳田34歳、遠野物語の原点というべき遠野に伝わる数々の話を柳田に話した佐々木喜善23歳、運命の出会いにて遠野物語は世にでることになります。
銅像は「遠野昔話村」にございます。
遠野物語関連
遠野の河童達

遠野駅前の河童達
遠野駅に降り立つ観光客をお迎えするかのように駅東側におります。
本来の河童はこんな感じかもしれません。?→  少し怖い感じがいたします。

ポスト河童・・・遠野駅
遠野の河童を表現する代表的な形と
なっております。御土産類の河童木彫
は上記のような感じとなります。

小烏瀬川、かっぱ橋のかっぱ

交通安全を祈願する、安全太郎河童
土渕町伝承園前・・・


カッパ淵のテレビ河童(土渕町)
実は河童の側面にテレビカメラがございま
して遠野テレビ及びケーブルネットにて河
童淵のライブ映像を送り続けております。
夜は真っ暗で何もみえません。
当然、河童を画像で捉えるためです?

河童狛犬・・・・土渕町常堅寺
画像では確認できませんが、狛犬の頭部分は河童の皿を模した窪みがございます。
その昔、近くの淵にて足を冷やしに来ていた馬を河童が引き込もうとして、逆に村人に捕まり、殺されるところを許されたという。後に常堅寺が火災に見舞われたとき、この時の河童が頭の皿の水を使って消火を手伝ったことが由来しているといわれています。
河童淵・・・土渕町
こちらはあまりにも有名な遠野の観光スポットです。
祠はカッパ淵と呼ばれる以前からあったとされ、中には乳房を模った縫いぐるみが奉納されており、乳神様と呼ばれております。
太郎カッパと女カッパ
松崎町光興寺太郎淵跡
こちらは松崎町のカッパ処、悪戯好きの太郎河童が住んでいたという、近くには女河童もいたというが、何故か太郎河童は人間の女が好きだったという・・。
水光園の風呂河童
遠野のオアシス、ソーラートロン温泉たかむろ水光園
河童の頭からお湯が湧き出ております。入浴料520円(大人)
消防河童
遠野消防署前の小川に鎮座する河童
消防署員によって設置されましたが、以前はよくカッパ淵と間違った観光客が訪ねておりました。


座敷わらし・・・遠野駅前
信号二箇所にございます。
カッパと共に遠野とくれば座敷わらしでしょう。こちらも遠野駅を降り立つ観光客、夜、酔っ払いのお父さん方をいつもみております。
座敷わらし
野菜信仰?
以前、ご紹介したことがございましたが、シャチ鉾の代わりに大根、ナスが屋根を飾っております。同一のお宅です。
実は、野菜農家でさらにその野菜を使って漬物屋も営んでおります。
私の叔父さんの家なんです。
日テレズームイン朝でも生中継されました。

これより下↓は、女性の皆さんはご遠慮した方がよいかもしれません。既婚者はその限りではございませんが・・・・
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金勢様・金精様・・・・・コンセサマ
日本各地では古くから生殖器信仰が盛んだったといわれている。
これを卑猥なものととるか、民俗学的な事柄ととるかは個人の判断ですが、遠野では昔から子孫繁栄、子宝を授かるという意味合いにてコンセサマ、すなわち男性のシンボルを模った性神を祀り、盛んな生命力のシンボルとして、また悪霊や邪気を祓う呪力があるともいわれています。
子宝祈願、安産祈願、縁結び、さらに豊穣、外敵を防ぐという災難を防ぐ神でもあります。
遠野では土渕町の山崎のコンセイ様が有名であるが画像は某所の金精様、右は女性を模ったものです。
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