| 遠野には、源義経北行伝説があるが、その時代を遡ると前九年の役での主役、源義家と安倍貞任の軌跡や言い伝えが松崎町駒木地区と隣の土渕町、附馬牛町にも残されている。 ここでは主に松崎町を中心に紹介いたします。 |

| 源 義家 八幡太郎義家 1039〜1106 |
| 平安初期の代表的武将。 源頼義の長男として生まれ「天下第一武勇の士・武威天下に満ち」その武力は神に通じると賞され後世武将達の鏡と仰がれた。 特に東北の戦乱に関わり、前九年の役では、神がかり的な奮戦で「八幡太郎」といわれ、この名称は「陸奥話伝」にて伝えられ、奥州人が最初に呼んだものとの解釈がされている。 後の後三年の役では朝廷から私戦とみなされ恩賞がなかったが私財を部下に分け与えその武功に報いたとされ、そのため多くの武士が朝廷に背いても源氏の恩に報ずるといった考え方が後まで息づいたとされる。 |
| 安倍 貞任 厨川次郎 1019〜1062 |
| 東北古代末期の武将。 安倍頼時の二男 厨川(盛岡市)柵を守り、厨川次郎と称される。 前九年の役が勃発するや父頼時が敗死、貞任は抵抗軍の総大将となり源氏方と抗戦、黄海の戦いでは源氏方を大いに敗り源頼義を討ち取る寸前まで追い詰めたが、出羽の俘囚、清原氏が参戦すると旗色は敗色となり、一大決戦となった衣川の戦いに敗れ、北へと逃れる、最後は厨川の柵での戦いで戦死したと伝えられている。 生前、部下からは高天の如くと仰がれ、後年地元民からは神と崇拝され、多くの伝説、伝承がされている。 |
| 安倍屋敷(舘) 土渕町大杉 現常堅寺付近 安倍氏時代、安倍貞任の弟で頼時六男とされる安倍重任の館があったといわれている。 その時代のものと思われる濠跡の名残りがあり、鏃なども多く出土したとされている。 現在、土渕町に住む阿部、安部姓はこの安倍氏ゆかりの後裔と伝えられている。 (杉林が多く見える付近) |
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| 足洗川 あしあらいがわ 土渕町似田貝 衣川の戦いで敗走した安倍軍は遠野へ逃れて来たと伝えられている。 安倍屋敷と呼ばれる安倍氏ゆかりの地でもある同地へ逃れて来たが、追走する源義家軍と一戦を交えるも敵わずさらに北へと敗走したと伝えられている。 足洗川・・源義家が愛馬の足を洗ったとされる場所で後に村名となった。足洗川は似田貝集落の一角でこの似田貝もまた、義家に由来する地名で、敗走する安倍軍が通道に粥を一面にばら撒いて前進を阻もうとしたとされ、「煮た粥」が転じて似田貝 ・にたかい・・となったとされる。 |
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| 貞任山と八幡舘 遠野や隣接の町村には貞任山といわれる山々が数箇所あります。 厨川柵までの敗走するルートにて途中で疲れなどを癒した場所ということでしょうか・・・・? 遠野においては、貞任山(貞任高原)がありますが、安倍一族の砦があった、馬の休み場があったともいわれている。 八幡舘 源義家の家臣で井手某が後に築城し住まいしたともいわれている。 詳しくは八幡座にて記述 |
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| 八幡舘 八幡座舘 松崎町海上 八幡舘は、一説には源義家の家来で井手氏が後に築いたされるが、阿曽沼時代の室町期、永正年間、菊池豊前が居たとされ、後に駒木氏を名乗る。その支配地域は駒木全域と附馬牛町安居台にも及んだとされる。 小烏瀬川を挟んで東・南が土渕町、北が松崎町となっている。 足洗川は小烏瀬川から僅か200メートル付近である。 |
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| 八幡神社 松崎町海上 阿曽沼氏臣、菊池豊前が建立という説が有力である。この地は神社創立前から八幡沢とか八幡座と呼ばれていたとされ、八幡太郎義家(源義家)に由来するものとされ、八幡座とは義家が陣所を張り、座して休んだことからその名がついたといわれる。 |
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| 八幡沢 松崎町海上 八幡神社の北側に隣接しており、舘を守る堀の役割を果たしていたと推測される。 |
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| 矢崎方面 松崎町矢崎 小烏瀬川を渡って北へ敗走する安倍軍と矢合戦となり、やがて安倍軍がさらに北へ敗走したといわれ、追走する源義家が矢を放ち、矢が到達した先、すなわち矢崎となったといわれ、同地の語源となった説がある。 安倍軍は附馬牛方面に落ちて行き、大出の妙泉寺にて敗残の兵をまとめて源氏軍と一戦を交えるも敗れ、早池峰山深く逃れたいう・・・しかし、火を焚いたため、その煙で居場所がわかり、さらに北へ敗走することになったと伝えられている。 |
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| 桔梗ヶ原 松崎町下駒木 安倍軍を敗走させた源義家は桔梗ヶ原(字名、中野・・下駒木と海上の境付近)にて狩をしたとされる、しかし愛馬が足を折り、その愛馬を祀るために蒼前(駒形)神社・・祠を建立したとされている。 蒼前神社は「コンテンツ史跡・名勝」コーナー参照。 桔梗ヶ原は後の阿曽沼時代、馬の放牧地とされ、駒木(こまぎ)の語源とされている。 写真は、下駒木(旧名、中村と旧名、中野方面) |
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