| 愛宕山館 |
| 舘熟知度 W | 舘規模 C | 遺溝保存状況 C |
難易度 U | その他 |
| 舘(城)名 | 愛宕山舘(あたごやま) 愛宕神社 |
| 所在地 | 岩手県遠野市綾織町新里 比高38m |
| 現存遺溝 | 山城 土塁 腰郭 |
| 関連諸氏・人物 | 不明 |
| 築年代・使用年代 | 不明 |
| その他 |

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| 本殿前の切岸 | 本殿南側の段差(帯郭) |
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| 土塁跡 | 北側急傾斜の帯郭 |
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| 南側の帯郭 | 南東側帯郭 |
| 館跡の概要 |
| 愛宕山館(仮称)は、現愛宕神社の鎮座する愛宕山に残されている。 遠野市綾織町新里地内、遠野と綾織との境に位置し、北側は急傾斜となっており、旧国道と猿ヶ石川が南北に走り、その南東側の小高い山野である。 築年代は不明ながら、阿曾沼時代に使用されていたものと推測されるも、その事績は皆無であり、先人の研究では安倍時代との記述も散見される。 愛宕神社は阿曾沼時代の勧進と伝えられ、おそらくは、館として機能が停廃した地に愛宕社を祀ったものと推測されますが、後の時代、江戸期である延文7年(1679)、時の領主、八戸直栄が再興したと記録されている。 なお、眼下の猿ヶ石川は山野の裾に迫り、館が機能していた時代は、ひとつの要害といった雰囲気が感じられますが、八戸氏が入部してもなお、愛宕橋はかけられておらず戦略的な何かが作用していた雰囲気は感じられます。 愛宕橋は八戸家家臣の宇夫方長右衛門により寛文年間から橋の工事がはじまり、当時稀に見るはね橋を完成させたといいます。 空掘といった目に見える遺構はみることはできませんが、急斜面に張り付くような平場(帯郭)や山野を取り囲む帯郭跡と思われる段差や土塁跡は残され、古に館として機能していた跡がみられます。 |
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旧城下(下組町)と下郷(綾織)方面