菊池一族とその舘
遠野菊池氏関連諸氏と舘(遠野市青笹町、上郷町)
丑舘(臼舘)・板澤舘・刃金舘
丑舘(臼舘)
舘熟知度 V 舘規模 B 遺溝保存状況 C 難易度 V   その他
  舘(城)名 丑舘(うしだて)または臼舘
  所在地 岩手県遠野市青笹町青笹2地割内  標高370m、比高70m
  現存遺溝  空堀  土塁  帯郭          
関連諸氏・人物  菊池 成景
築年代・使用年代 不明(戦国期)・阿曽沼時代
  その他  複数の郭からなる舘の可能性有り
舘と舘主その光と影
攻城記と舘概要
 2003年、舘跡探しには苦慮しなかったが、進入経路がわからない、一部南西側の林から入れそうな感じはしていたが、春先ということ、しかも熊がよく目撃される地帯でもあって、熊による痛ましい事故があったばかりで、気乗りがしない舘でもありました。
 
 2003年春、東側、南東側は断崖絶壁、小川も周囲を囲み、進入経路がはっきりと特定できない、また見るからに難航しそうな地形、ここはまたの機会ということで、遠景のみ画像に収めて撤収という場面でもありました。

 地元の古老の方の話しに、堀跡や段状の平らな地形があり、子供の頃、錆びた刀を発見したことがあると聞かされ、またけっこう頂上の平らな部分は広いと伺ったことがあった。
 これにより、自分が従来イメージしていた舘以上の何かがあるのではないのか、丁度遠野における菊池一族に関しての調べに取り掛かったこともあって、この際に縁の舘跡も見てみようということで、2005年11月、満を持して調査に踏み切った次第です。

 平成17年11月28日(2005・11)
 同月の末には、宮守町内の舘跡を踏破、本格的な積雪の前になんとか青笹、上郷方面の3つの舘を調べ終えようと毎日天気予報と睨めっこ。
 前夜は雨模様、当日は一面が霧、なかなか晴れわたらない、また午後になると日暮れも早く、また未踏の3つの舘、全部回りきれるかの不安もあって、午前10時に自宅を出発、10時30分いよいよ登城開始。

 前回、進入口と疑っていた南西側の林から進入、林道が敷設され、舘山沿いに林道が続いている、さほどの登りでもない、登っていくにしたがって霧は晴れている、むしろ下界が霧に覆われているといった状況、またしっかりと道も付いている、案外いつもの山城攻めよりは楽に感じられた。
 少し木々が伐採されて開けたところに到達、目に飛び込んできたのは、舘特有の段状の平場、ここに間違いなさそうである。
 うむうむ・・・まあまあな規模かもしれないとまずは一応の安堵をいたしました。
 山を下った頃には下も晴れわたり、まずは良好な出だしとなりました。

                        舘跡の概要

 
@南西側から上っていきますと、東側の断崖上に平場がある。平場下、西側〜北側は2段からなる帯郭、頂部平場は南北に長く約30メートル、東西約10メートルから15メートル、南に傾斜しており、南に下るに従って狭くなっている。
 さらに東端断崖は2本の縦堀らしきもある。

 東部分の頂部を西方面に下ると、空堀跡と思われる溝が東西約10メートル程続いている。5メートル離れた場所に、この空堀跡の延長と思われる溝がさらに5メートル程確認できる。

A5メートル程の空堀跡を辿ると、東側の平場よりさらに高い小山がある。
 この小山の東〜南〜西に帯郭があり、南部分からは2段となっている。
 なお、この小山の頂部も平場が形成されており、南北約15メートル、東西約5〜7メートル位のものである。

 Aの平場下の一段目の帯郭は道らしき形跡があって、さらに北側方向に向かうと、北東側にさらに一段高い台地が見られる。

B 北東側の台地は、電力関連の鉄塔が建っており、下から見上げても頂部はかなり広く整地されている雰囲気が伝わってくる。
 そのまま、道沿いを北側に進むと、台地と隣接山野を断ち切る堀切跡と思わせる切岸部分に至る。
 さらに西側には空堀跡が見られ、そのまま道下の帯郭に接続されている。
 切岸部の北東側は平地となっており、その先は断崖、北部分は山野、東部分は鉄塔の建つ台地となっている。
 なお、台地と堀底との高さは5メートル程である。

 台地状の平場は東西南北どちらも約30メートル四方、草地となっている。東側は急傾斜地、谷となっている。


 今回の攻城では、明らかに3つの郭といいますか、平場があることを確認する。主郭は今まで踏破してきた遠野郷内の舘跡の特徴から、北部分の台地と思われるが、背部すなわち北側の守りが薄いと思われ、さらに隣接の山野に空堀等がある可能性もある。B

 @については南部分の守りは2段の帯郭のみであるも、東は断崖絶壁、北側は東に下る道が敷設されており、この道は空堀等跡に造られた可能性もあり、東西に走る空堀跡も確認でき、背後の守りはそれ相応の造りではなかったかと想像される。

 現段階では主郭の位置を断定することは難しいが、限りなくBの郭ではないのか・・と思うもさらなる今後の調査等にて明らかにして参りたいと思います。

 丑舘は、遠野市史1の記述にあるように、遠野地域の開拓が進むにつれ、各地域には舘主が配され、特に丑舘の菊池成景時代には大いに繁栄し、青笹、上郷方面にその力を示し、遠野阿曽沼氏主城横田城、宇夫方氏の綾織谷地舘と共に遠野郷内の重要基地との位置付けで、丑舘の構え、規模を考えるにまさに遠野市史に記述される舘主に相応しい舘と思われます。
段状の平場 段状の平場
段状の平場 東部分平場下、北端の空堀跡
頂部平場北側方向(南側から撮影) 頂部平場南方向(北側から撮影)
東端縦堀 空堀跡の延長部分

@の東側郭付近

Aの東部分帯郭 Aの西側2段目の平段
Aの帯郭2段目、南西部分 Aの帯郭と郭・・・北側方向から撮影

Aの郭付近

郭との切岸 隣接山野との間の空堀
切岸部北側 空堀南方面
頂部平場 頂部より東方面、上郷町方向を望む

Bの郭付近

簡略図は、正確ではございません。大雑把な内容であることを申し添えます。
いずれ、今後の調べにより、より正確な図へ変更いたします。
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