遠野阿曽沼氏
|
| 花 舘(鼻館) |
| 舘熟知度 V | 舘規模 A | 遺溝保存状況 B |
難易度 V | その他 |
| 舘(城)名 | 花舘(鼻館・はなだて、はんだて) ・別名 八幡館 |
| 所在地 | 岩手県遠野市青笹町糠前 沢田(安戸) 比高121m |
| 現存遺溝 | 山城 空堀跡8本 帯郭 土塁 |
| 関連諸氏・人物 | 不詳 |
| 築年代・使用年代 | 不詳(安倍時代説あり) |
| その他 | 謎の館 |

| 館跡の概要 |
| 青笹町糠前地内、土淵町飯豊地区と隣接する山野であり、青笹町沢田地区側には館の沢と今でも呼ばれる沢が山麓を流れ、古に館があったということを物語る雰囲気が感じられる。 山野南側の中腹には館の八幡と呼ばれる八幡社が鎮座し、社の背面には土塁、空堀跡が認められ、さらに上方には三段にわたる郭が存在、周囲を帯郭が囲み、背面には東に落ち込む空堀、西側には北側へ走る空堀、さらに下方にも南に下る空堀が複数確認できる。 郭の北側にはさらに高い丘陵があり、上部は山頂でもあるが、この山頂の平場が主郭と思われ南北70メートル、東西20メートル、花館で確認できる平場では最も大きい。 主郭の周囲、東側は2段、西側は1段の帯郭が配置され、西側下部にはそれぞれ南北に交互に走る空堀跡が認められる。 主郭背面(北)は空堀によって断ち切られ、東西にそれぞれ落ち込み、さらに北側は土塁と南北15メートル程の郭が存在し、背面に空堀、二重目の空堀となりますが、それぞれ東西において一重目の空堀と連結されている。 二重目の空堀背部も北側は土塁、平場となっているが、三重目の空堀が確認できる。 三重目の空堀は東側では途中で消滅するが西側では二重目の空堀と連結、西側へとつづいている。 さらに背面は平場らしき割と平坦な部分が続くが、東西部分が消えている一部分のみの空堀跡を確認、仮に四重目の空堀とする。 若干の傾斜を進むと、五重目の空堀跡に到達、枝線のように東側部分で三つに分岐しているが、西側は角度を変えながらもそのまま駆け下っている。 五重目の分岐した3本の空堀跡まで数えれば八重の堀となり得ますが、その深さ、大きさ等から判断しますと五重までは判別或いは数に入れても支障はないものと思ってますが、さらに北東側の3本については、古からの伝承で隣接山野(飯豊)から水を引いたと伝えられ水路跡が近年まで確認されたという古老の話もあり、その水路跡の名残ではないのか・・・一番先端、北東側に途切れる空堀跡らしき窪みも確認でき、先端部分は水路跡か・・・確証は薄いが考慮すべきことではあると思われる。 さて、西側は縦横無尽に走る空堀が配置され、単独で下る空堀は主郭下の東側のみであり、後はいずれかの空堀と連結しながら西、南側へと駆け下っている。 基本的には、主郭背面の内側の空堀に三重目の空堀と連結された二重目の空堀が合流、一重目の空堀は南から北へ下る空堀を収容して縦堀となって西側へと下る。 また先端部(北東)の空堀は西から南に下るも二重目の空堀との中間地点から現れる空堀と合流、そのまま縦堀となって西側へ下っている。 主郭下、西部分の空堀は二重となっているが、南北双方へ落ち込み、北は一重目と合流、南へはそのままカーブを描きながら、縦堀と合流して、そのまま麓へ駆け下っている。 八幡社周囲の空堀もまた東西それぞれに落ち込み、また南北間でそれぞれ連結等がなされている。 当初はその空堀の数、縦横無尽に走る配置に驚愕し、なかなか図面にも表せないほど複雑な空堀群と思っていてたが、三度の現地探訪にてほぼその全容がわかりかけてきたところでもありますが、主線たる空堀はそのまま縦堀となり、その主線に他の空堀が合流といった配置と思われ、周囲には小さいながらも土塁や郭となり得る平場が段状に配置されていることも確認できる。 一応、今現在(2006年5月)において、図面等も作成し添付はしておりますが、細かな部分はまだまだその範疇から漏れているものと思われますし、思い違い等もあるものと思います。 今後さらなる現地調査を継続しながら、その全容把握に努めたいと思います。 |
| 攻城記(探訪記) |
| 昭和59年(1984)4月から10月にかけて、地元郷土史家のお二人の先生が遠野市内全域の城館屋敷調査を行ない、その調査報告書の内容に、花館の空堀跡に驚愕したという記載があった。 8本の空堀・・・私の読み違い、勘違いから後に8重ではなく、8本の空堀と判明しましたが、8重、8本はともかく、遠野では他に類をみない圧倒的な数、私も素人ながらいくつかの城館跡を探訪してきたが、館主はおろかその事績がほとんど語られず歴史の闇へと埋もれていた館がこれほど賞賛されていること、この館に興味を示さないはずもない。 早速、若干の情報収集と共にその探訪の準備に入り、拙ブログで調査報告書の概要と共に花館に関して掲載すると、ブログでいつもお世話いただいている今淵氏から、我家に縁ある八幡神社がある山であるという情報をいただくと共に、共に探訪したいという申し出を受けていた経緯がございました。 探訪は春となってから、他の城館跡は探訪できなくても、この花館だけは・・・この春(2006年春)のメインという位置付けに花館を据えて春の到来を待ち望んでおりました。 平成18年 2006年4月15日(土) この冬は積雪も多く、また寒い冬でしたが、3月になってもなかなか雪融けが進まず、また4月に入ってからも雪降りの日もあって、なかなか城館跡探訪に踏み切れない気象条件でもありました。 4月も半ばとなり、少し春めいた季節、満を持して今淵氏にブログやメールを通じて連絡、15日午後3時に待ち合わせ場所の指定をいただき、また地元の伝承、郷土史に詳しい古老の方もご同行いただけるという嬉しい申し出、場所の特定に不安があった身にはなんともありがたいことであり、また地元史にも詳しいということで、舘跡調査にも何かしら進展がみられそうな予感、まだ見ぬ謎の花館、気持ちも大いに高鳴りました。 早速、待ち合わせ場所にて合流、今淵氏のワゴン車にて現地へ向かう、途中数年ぶりとか十数年というお二人、場所を度忘れした場面もございましたが、なんとか到着、早速目指す山野へ進入開始・・・。 道らしき跡を進み、チョット上ってまた横に進む・・・この繰り返し数回で程なくして八幡社に到着。 思ったより小さい社、それでも縁ある神社ということで今淵氏は感慨深げなご様子、早速社の扉を開け放ち、軽く清掃・・・お神酒のワンカップをお供えしてまずは皆で手を合わせる。 さて手を合わせた後は舘跡探訪であるが、既に社の背面は土塁らしき形状、傾斜を少し駆け上がりますと、そこには土塁と空堀跡が・・・・さらに上にも土塁跡・・その向うは空堀がまだあるに違いない・・画像を数枚ゲツト後、土塁跡を登りますと、平場となっているも東側に下る空堀を発見、西側にも空堀が・・・・そうしますと社のある場所は郭か・・・でも主郭にしてはあまりにも狭すぎる、しかし他の遠野の館ではちょっとした平場があって背面に空堀が配置されただけの舘跡も存在するが、これでもしかして終わりか・・・なんて考えたりしてますと、ご同行いただきました菊池氏が先行してさらなる上部へ・・・ここには主郭としても十分の段上の平場が配置されてる。 こちらが主郭か・・・周囲には帯郭、背面には空堀らしき形状も確認できる、西側も段上の平場が展開されていて下部にも空堀がある。 8重の空堀はこの平場の背面にあるに違いないと思うも、菊池氏、今淵氏はさらに奥へと歩みを速める・・・背面にはさらなる山野が・・・若干の段上の形状を確認しながら山野の頂部へ・・・こちらの山頂ははるかに広く大きい、ここが主郭であろう・・・と確信する。 早速距離測定器にて測量、東西南北・・・木々が邪魔で一度に計測できない、なんとか継ぎ足しながら計測すると南北70メートル、東西20メートル、途中で極端に狭くなるといったことは少なく、ほぼ南北に卵型に近い形状、またほぼ平坦でもあり、遠野でも広い部類の主郭であると判断いたしました。 測量と画像収集に手間取っている間、お二人の姿が見えない、奥の方でかすかに赤い色がチラホラ、既に背面に至っているお二人・・・そうすると今度こそ遠野名物、何重かに山野を断ち切る空堀跡が拝めるのか、期待をしながら背面へ・・・・ここで合流、しばし歓談、「かなりでっけ館だべ(結構大きい館でしょ)と菊池氏、今淵氏「鍋倉よりでっけがもしれね(鍋倉城よりも大きいかもしれない)」・・・私「大きいかはわからないがほぼ同じ規模かもしれない、横田城よりは大きいと思う・・」と今までの感想を言いましたが、それよりお待ちかねの背面の堀跡、どこまで数があるのか・・・そんな思いから背面を覗き込むと、ありました立派な空堀が・・・土塁もまあまあ高い、「これこれ・・」と口に出しますと、どうぞ存分に見てきてくださいと今淵氏、早速お言葉に甘えて背面の探訪に取り掛かる。 一重目の土塁を這い上がり少し平坦な場所を移動、二重目発見、ここも結構立派だ・・三重目もさらに先に発見、だんだんその幅、深さは落ちているもまだまだ堀跡と判別も可能・・・さらにもう一本、またさらに一本、最後は掘りか溝か判別はできないながらも、それでも三つに分岐している形状、強引に6,7,8と数に入れるも、一応六重までは数に入れてもよさそうだと判断する。 その後、堀跡を辿って下部へ・・・こちらはそれこそ縦横無尽に空堀が走っている、見事というか圧巻である。 まさに驚愕の光景でもあり、何がなんだかわからないが上へ下へと山野を歩き回る自分、手帳に図面らしきメモを取っていたが、ここで断念、とても図面に表せるような単純な代物ではないと気づくと画像中心に収録、いつしか上方で私の姿を確認したのか、お二人がゆっくりと下山して行く、私も上方と合わせるかのように下方の堀跡を辿りながら、八幡社に到着。 今淵氏が準備した清涼飲料水をいただき、またまたしばし歓談、そこで菊池氏から色々と館の云われやら伝説等をお伺いして、下山となりました。 里に戻ってきてからも先ほど登った山野を指して色々とご教授いただき、その後、今淵氏の事務所にて休息後、帰宅となりました。 いずれにしても一週間はこの花館跡の探訪の興奮が冷め遣らず、近いうちにもう一度と心に誓いました。 2006年4月26日 第2回探訪 前回の探訪での興奮もまだ継続中であり、また5月初めには恒例となっている遠野郷館めぐり春の陣で八戸市在住の睦月庵氏の来訪を受けて共に探訪する予定でもあり、ここはその全容把握と図面として表したいとの考えで単独にて攻城する。 少し風邪気味ながら、今一度の思いが勝り、早速前回と同様の登口から進入、八幡社の扉が開け放たれ、鈴が数メートル先に転がっている。おまけにワンカップらしきガラス瓶が欠けて周囲に散らばっている惨状、そこでまずは鈴を取り付けガラスを拾って別場所へ片付け、それから舘跡調査の報告を兼ねて手を合わせる。 扉を閉めてからいよいよ館内に本格進入、ゆっくりと図面を描きながら東部分に片寄りながら歩みを進めると東に落ち込む前回とは別の縦堀を確認、さらに主郭にもきちんとした帯郭が数段配置されていることを確認、さらに背部へ進み、堀跡の数、形状を確認し、下部へ・・・今度は前回以上に上り下りを繰り返し、細部まで確認したつもりであった。 正味2時間くらいか、間もなく八幡社へ峰ひとつといったところで、下部の縦堀跡を画像に収め、図面に描いてますと、上方で「バキッ・・ガサッ・・」と何かの音・・・・これはヤバイかも・・なんて考えていると、背後を飛び跳ねるように通過する物体が、振り向き様に見ると灰色といいますか茶色いような動物が、十数メートル後ろを通り過ぎて行く・・・体制が悪かったのとビックリしたので、思わず足が交差してしまい、そのまま一回転して斜面を数メートル滑り下りてしまった。 幸に怪我はなかったし、大事なカメラも壊れていない・・・というか無意識にカメラは守っていたようだ。 熊でなくてよかったと安堵する自分がそこに居りました。 探訪も残り僅か、峰を回るように八幡社に至って本日の探訪は終了・・・八幡社に無事の探訪の感謝を込めて手を合わせて山を下りましたが、途中の沢にカモシカが水を飲んでいる、そう先ほど自分の背後を通過したあのカモシカだっ・・・この野郎と小さな声でつぶやいたら、急にこちらに気がついたようでもあり、慌てて走って逃げ去った・・・遠いながらも画像を一枚ゲットする。 そういえば山野のあちこちに黒豆状の糞がありましたな・・・カモシカの巣窟なのかもしれない・・・笑・・・・少し頭にきたけど相手は天下の天然記念物、大事にしなければいけません・・・笑 2006年5月1日 毎年恒例の遠野館めぐり、八戸の睦月庵さんを迎えての攻城戦、初日の1日は火渡館(附馬牛)、山口館(土淵)と探訪し、この日最後はメインとの位置付け、さらに城郭研究では私より先輩で師匠格にあたる睦月庵さんにこの花館に関してご見解もいただきたいという目論みもありましたし、この館を見ずして他の遠野の館は語られないだろうという意味合いもございまして、今回のご案内となった次第でもあります。 前回と同じ進入口、ほぼ同様の経路で館内の探訪をするも、山頂の主郭部分までは睦月庵さんもそれほど驚いていない様子、しからばこの後の背面の堀跡だっ・・・ということで先行してご案内すると少しは驚きの表情か・・・そんな思いもしましたが、前方の林の中で毛むくらじゃな動物を発見、チラッと私の方を見ながらも何か食べている様子・・・カモシカだっ、早速小声で睦月庵さんを呼び寄せる、カメラのシャッター音が静まった林に響くも全く動じる気配はないっ、私は予備のカメラまで投入してかなりの数を写したが、モニターで確認しても全部ピンボケ、焦っていたわけでもないが、このカモシカ、前回私を驚かせて斜面を転げ落とさせた奴に違いないと思うと、無性に腹が立ってきた。 ある程度画像も収集できたということで、私は次なる堀跡へ移動、それに伴いカモシカも逃げ去ったが、空堀跡を測量している背後をまたしても飛び跳ねながら通過していく、今度は斜面ではなかったので転倒することはなかったが、このカモシカ、人の背後を横切るのが好きらしい・・ ということでカモシカとの遭遇はこの日は御終い、そのまま下部の空堀跡を探訪、途中、単独みたいに別々に探訪といった場面もございましたが、なんとか一応は全域を回ったことになりまして、この日の探訪は終了・・・。 歩きながらの歓談では、安倍時代の築館には見えないこと、戦国時代の様式もだいぶ入っていることや、他の遠野の館とは違って南奥羽や八戸、県北の大きな館にみられる一般的な様式であること、無論、遠野においては一般的ではなく、むしろ異質とみられる城館であり、一部には遠野地方でみられる背面の堀の造りも盛り込まれている他地域様式と混合した館であろうという見解でもあります。 また空堀は複雑そうにみえて実は案外単純でひとつの本線たる空堀に支線のような空堀が合流している、基本は縦堀にありそうとのこと、いわれてみれば確かにそういった流れでもあることに気づく自分、これはたいへん勉強になった探訪でもありました。 ただ堀の数の多さ、その範囲の広さ、これは見事といった内容も含まれ、今後さらなる探訪の弾みとなることでもありました。 |

初探訪でご案内を受けたお二人

簡略図に関しては空堀等の配置は正確ではございません。
おおよそこのような配置です。