角城舘

遠野郷土淵の館跡

舘熟知度 V 舘規模 B 遺溝保存状況 B 難易度 V   その他
  舘(城)名 角城舘(かくじょうたて)   
  所在地 岩手県遠野市土淵町栃内   比高104m
  現存遺溝 山城  空堀  水路  腰郭  丘陵   
関連諸氏・人物 沢村 図詳  前川 左門  
築年代・使用年代 室町時代〜戦国時代?
  その他
舘の概要
 北側は高楢山に続く高嶺な山野が続き、西側、東側もこれらの峰々の連なり、南側には小烏瀬川が流れる突端の山野である。

 館のある山野はお椀型の形状であるが中央が窪んだ形で、西、東部分は急傾斜地を形成しており、中央(南)の窪んだ形状左右の峰々には3段からなる小さな平場が展開され、中央部にも5段からなる平場が確認できる。

 頂部平場(主郭)には2段〜3段の帯郭が配置され、背部(北側)には3重の堀で峰が断ち切られており、東、西方向にそれぞれ駆け下っている。

 さらに最奥部にも4重目の堀と思われる遺構が確認されるが、北側の峰沿いを南方面に向かってほぼ真っ直ぐ駆け下っているが、資料に記述の水路跡と思われる。

 遠野規格といわれるまさに典型的な山城跡でもありますが、土淵町内の城舘跡では遺構等が破壊されずに残されている城舘跡でもあります。

                                   2006年11月17日 初探訪
 
南側から全景 中央部分の段状の平場
東部分峰の平場 頂部平場(主郭)南北30m東西20m
背部掘切 2重目の堀と土塁
西側の空堀跡 西側2重目空堀跡
北側から至り西へ折れる水路跡(空掘跡か?) 主郭東部分の帯郭
堀切の様子(北側から南方向を撮影) 東部分へ駆け下る空堀
東部分の空掘 東部分の空掘
                 角城館の歴史と館主考察


 遠野郷土史における角城館の位置付けは、新山、和山、立丸、さらに界木の各峠道を利用して三陸沿岸へ通じる交通の要衝たる土淵地域を印象付ける内容が語られ、室町初期と伝承される角城館主、沢村図詳が居たといわれる。

 この館主伝承では海岸地方に一大勢力となる大槌城主、大槌孫三郎の兄と沢村氏は伝承されるがその根拠を確認することは今のところ出来ていない。

 永享年間、気仙郡の岳波太郎と大槌孫三郎は相計って遠野侵入を企てたが、結局は南部守行の援軍を得た阿曽沼秀氏(遠野横田城主)に敗れたといわれるが、この時、遠野郷内の各館主達は日和見態度と語られ、特に大槌勢の進入路に待ち構える角城館もまた迎撃、反撃を加えた話しは伝えられていない。

 しかも館主の沢村氏は大槌孫三郎の兄と語られては、これに加担、或いは何かしらの援助をしたものと想像がつきますが、角城館の構造等を考えれば、極めて戦国時代的な構えでもあり、さらに大槌氏との血縁といわれる沢村氏は室町初期の時代の事柄に登場のみで、その後の事績は伝えられていない。

 土淵地区には、海岸方面からの界木峠、貞任、新山の各峠道から至る要衝を抑える山口館が存在するが、さらに小烏瀬川沿いに遠野方面へ至る立丸峠からの道、或いは西内から駒木方面へ至る間道等もあったものと推測され、これらの合流地点をさらに監視強化する場所がこの角城館といった位置付けも考えられ、室町初期から築館がはじまり、時代と共にそれなりの工作が加えられ、戦国時代に一応の完成をみたのではないかと考察しております。

 その姿は極めて戦国的で遠野規格に相応しい構えでもあるからです。

 他に時代は少し下るものと思いますが、館主に前川氏の名も散見されますが、どのような一族であったのか、遠野においての位置付けは不明です。
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