菊池氏探求の旅
2002年10月4日〜5日(平成14年)
熊本県菊池市訪問記
私の姓、菊池の根源たる何かを求めて九州は肥後国(熊本県)菊池市を訪ねてまいりました。
また、南北朝時代、九州南朝方として歴史に名を留めた菊池一族とは、何たるものなのか?こちらも実際、本拠地として活躍した菊池に足を踏み入れ探求したいという気持ちが強かったというのもほんとのところです。
私の住む岩手県遠野市はコンテンツ菊池姓でも記しておりますとおり菊池姓氾濫地帯でもあり、そのことが縁で菊池市とは友好都市となっております。
このことがひとつの訪問のきっかけとなったのも事実です。
今回は私と同僚で同じ松崎町在住の、もとまつ氏(三浦)との二人旅となりました。ちなみに三浦氏は、鎌倉御家人の三浦一族と何かしらの関連があるといわれております。
ただし、本人は全くそのようなルーツとか歴史には興味のない人間でして、もっぱら夜の蝶と温泉目当てであるということを申し添えておきます。

10月3日(木)
遠野から、もとまつ氏運転の自家用車にて一路仙台空港に向かう、約3時間半、午後12時45分、仙台空港に到着、なんとか搭乗受付時間内に到着するもカーナビ装備にもかかわらず各所にて道路を数箇所間違い予定より30分近く遅れる。
午後1時30分、日本エアシステム(日本航空と合併)福岡行に搭乗、定刻より若干遅れて離陸、本来の空路、新潟上空のルートを変更し川越・甲府・名古屋・琵琶湖・岡山・広島と飛び午後3時過ぎ無事に福岡空港に着陸、約2時間にて到着。
ちなみに花巻空港(岩手県)からも週二便福岡行きがあるが帰りの便が合わなく仙台発着となる。
地下鉄にて博多へ移動、一泊して翌4日(金)レンタカーにて熊本経由で菊池市入り、途中西南戦争最大の激戦地、田原坂を見学、薩軍指揮の西郷隆盛・明治維新の立役者は菊池一族の末裔であるといわれている。先祖が菊池市近郊の西郷の地に住んだことから西郷姓になったといわれている。
さらに熊本市内に入り、熊本城を見学、天守閣は復元であるが、まさに豪壮そのもの、圧倒される。
午後2時半、菊池市内の研修視察先に到着、約1時間半の視察を行い、今夜の宿泊先菊池温泉第一閣にチェックイン、菊池温泉一といわれる湯質を堪能いたしました。
夜は、今回宿泊の手配から翌日の観光とお世話いただいた野口様はじめお知り合いの方々と夜遅くまで懇親を深めました。
ちなみに夜の蝶は、別なところで舞っていたそうですが、私達には無縁でした。
それと宿や二次会で「何を飲みますか?」と聞かれまして、焼酎と答えましたが、「しろ」でいいですか?「えっ・しろ」思わず「SAN(燦)お願いします」しかし何のことか通じない、ようするに熊本では銘柄ではなく種類から聞くということで、芋・麦・蕎麦・米ということで、しろ・・とは米のこと。ちなみに私達が普段飲んでいるのは麦ということになりますが、クセのない米焼酎、しろを注文、なるほど飲みやすかったです。
田原坂戦場
熊本城
菊池温泉と城山方面
10月5日、朝8時30分第一閣をチェックアウト、野口氏と会うため菊池物産館へ向かう、どういうわけか物産館のリニューアル式典に同席ということで、私達も式典に同席する。セレモニーもいよいよ佳境に入り来賓の紹介が行われる、なんと・・紹介の最後、それも前に出て欲しいとのこと、遠慮して一段低いところに立ちましたが、一段上がってほしいとのこと、もう緊張の極みに達していたところ、ご挨拶を・・とマイクを渡される、自分が何を言ったのかはよく覚えてはいません。汗
紹介が終わると、野口氏案内で菊池神社へ向かう、すぐ社務所内へ通され宮司さんとしばし懇談、菊池一族の全国四散、特に岩手への下向など主に見解を聞き入る、さらに資料の写しなどもいただき今後の探求のステップアップにつながったのは言うまでもない。
本殿にて拝礼をし、菊池一族の歴史を学ぶ市民の皆様と会う、「遠野からですか、菊池さんですか」と声をかけていただき、あらためて遠野市と菊池市の友好都市としての絆を確認できました。
つづいて城山へ移動、公園風になっている菊池氏本城跡をみて次の見学地に移動。
菊池24代・・・菊池市ではやはり菊池一族が何事でも最初に出るものだと実感した次第です。戦国期初期には没落し、全国各地に四散した菊池一族ではありますが本拠地としていた今の菊池市の先人への思いも十分伝わりました。
遠野では遠野南部氏がやはり親しみが込められていますが、遠野市民の多くが南部氏を学ぶということはあまり見たことも聞いたこともありません。
菊池神社 南北に走る小高い山に位置し、北部分が神社、道を挟んで南側が本城跡となっている
武時公・武重公・武光公
菊池三代を主神
城山を後にして、旧市街地というか上町・中町・下町といわれる町内を車でゆっくりと回る。
どこの町もそうであるが、国道沿いやバイパスの方が急速に発展し全国チェーンの店舗支店やコンビニが目立ち、買物客や市民の足も自然にそちらに集まりだし本来の商店街は閑散としている現状は遠野も同じことがいえます。

途中、将軍木を見学、樹齢6百年以上すぱらしいの一言・・画像をご覧下さい。
南北朝期、後醍醐帝第16皇子・征西将軍宮・懐良親王が菊池氏を頼って下向した際に宮の杖から芽が出たものと伝えられている。

温泉街側の正観寺に移動、菊池では正観寺を中心に囲むように東西南北に寺(五山)が配されており、東は東福寺、西は西福寺、南は南福寺、北は北福寺があり正観寺には菊池氏といえば第一に名が出てくる第15代菊池武光公の墓地がある。
東福寺近くの田んぼの真ん中には第14代菊池武士公の墓所がありましたが、台座はやはり亀でありました。

菊池市内を一時出まして、九州米の産地迫間川沿いに車を進め、広々とした田園地帯を進むと西郷集落、明治維新の立役者、薩摩の西郷隆盛の先祖は菊池一族でこの西郷の地に住んだことから西郷姓を名乗ったとされています。地名として今も西郷が残されているということです。
将軍木
西郷集落を望む
武光公墓所
ちょっと一服・・    ガンバレ キクチ
その後、七城町の一部を通り、菊鹿町の鞠智城跡を訪問、菊池の語源ともいわれるところで古代の城跡を復元したものなそうです。
天気の良い日は有明や長崎方面も見えるとのことですが、この日は晴れていましたが少しガスがかかっていて確認することはできませんでした。
再び菊池市へ戻り、竜門ダム、そして菊池渓谷へ移動、レストハウスにて昼食、約一時間かけて菊池渓谷を散策、なるほどすばらしい景色ときれいな水の流れ、遠野にも同じような場所はあるけど、ここまで大きな渓流という渓谷はありません。
紅葉の頃は、さぞすばらしい景観でしょう。
午後2時過ぎ、いよいよ菊池市を離れる時間となりました、ここまでご案内の野口様ともお別れの時が近づいて来ました。
野口様運転の車を先頭に菊池阿蘇スカイラインを一路阿蘇方面へ向かう。途中の眺めの良い場所にて一服、阿蘇方面の雄大な景色を見せていただきました。
夜、そして朝から昼過ぎまでご案内いただいた野口様にはほんと感謝しております。
名残りは尽きませんでしたが、途中の分かれ道にて野口様と別れ、一路私達は日田経由で福岡に車を走らせました。

日田では奇跡の水・日田天領水を買う目的もありまして、40リットル買い込んで家へ送りました。大分道へ入り、午後5時30分福岡入り、市内では渋滞に巻き込まれましてレンタカーを返したのが6時30分、中洲のホテルにチェックインしたのが午後7時近く
それでも九州最後の夜を満喫しようと直ぐホテルから出まして、もとまつ氏とは公園の一角でちょこっと一言、二言会話しただけで、翌日のチェックアウト時まで顔を合わすことはありませんでした。単独行動というやつです、私は夜の探検隊隊長兼隊員に早がわり中洲へと繰り出しました。
ちょうど中州祭りの最終日で通りも歩行者天国、屋台や出店が沢山出ていて、焼鳥などを口にしながらビール片手に散策、呼び込みのにいさん、おばさん達を振り払うようにひとり街の中に消えていったのでした。


翌日6日は午後1時仙台行、日本エアシステムに搭乗し、午後2時30分無事仙台到着、福岡を出る頃は雨模様で、私達が九州にいる3日間はいずれも天気が良くてラッキーでした。
東北道を飛ばして、自宅には午後7時頃到着。
私の菊池市訪問を含めた九州の旅は、こうして終了しました。
   鞠智城
菊池渓谷
菊池阿蘇スカイラインから阿蘇方面を望む
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