遠野郷舘めぐり第参弾


 遠野春の陣

遠野・宮守・釜石・住田関連の舘、史跡めぐりレポート
2005年5月1日、2日

 5月1日(第一日目)晴れ


 遠野郷舘めぐり(城攻めオフ)第三弾、遠野春の陣と銘打って、八戸市在住のサイト管理人さん、睦月庵さんをお迎えしてのオフ会、遠野では桜花爛漫、まさに絶好の城廻り日和となった5月1日でありました。
 午前10時2分遠野駅到着の釜石線、はまゆり号にて遠野入りという打ち合わせでしたので、到着5分前に遠野駅に到着、駅付近を往来する観光客の観察をしながら時間を潰しておりますと、列車が到着、遠野駅には予想以上の観光客が下り、40〜50人は降りたでしょうか、その中の睦月庵さんを探しておりますと、来ました・・・睦月庵さん、相変わらず元気そうで、再会を喜ぶ私が其処におりました。

 ご挨拶もほどほどに早速、マイカーに乗車して一路鱒沢舘に車を走らせる。途中の綾織バイパスの桜も開花、5分咲きといったところか?、聞くに八戸の桜は散り始めとかで、八戸より南であっても遠野はやはり寒冷地なのだな・・なんてあらためて思ったりします。
 車内では互いの近況報告やら、第一回、二回とご一緒の東京都の稲用さんのことなどを話しながら会話も弾み、15分程度で長泉寺に到着、早速車を駐車させて鱒沢舘の案内板をご紹介、案内板の中での記述、猿ヶ石川流域では最大級の山城で、遺溝も見事という記述を力説して、これから案内の鱒沢舘がいかにすばらしいかをアピールする自分がおりました。
 ちょっと登城ルートを間違ってしまい、車ごと移動、前回も車を停めさせていただいたお宅にお願いして、早速南側から攻城、登り5分といったところか、かなりきつい斜面を息をきらしながら中腹の神社に到達、ここまでくればそれほどの山登りはないっ、しかし、かなり発汗があってたまにはいい運動だっ・・と言い聞かせて今後の探訪ルートを絞り込む。
 まずは西側の空堀を御案内、前回と変わらないすばらしい空堀が健在、睦月庵さんも満足のご様子、早速画像に収めておりました。斜面を少し駆け上がり、到達した地点は頂部の平場、主郭だったところであろう。若干細かい木々があって歩き難いが舘神に手を合わせ、早速、この舘の見せ場、背面の堀切である。高さ5メートル近くか?三重の堀で区切られている光景はやはり見事の一言、睦月庵さんも三戸や八戸地方でもこれほどのものは見た事がないっ、と絶賛、息をきらし、汗もかいて苦労してたどり着いただけはございました。そのまま東側の堀を見ながら下山、途中の数段からなる平場もご覧頂ながら無事に下山でしたが、やはりそこは城めぐりのエキスパート、最下部に下る堀の痕跡を発見、さらにいつの時代のものか不明ながら墓石群らしきものを発見、さわらぬ神に祟りなし、知らない振りをして下部付近を探索後、今度こそ下山となりました。


 
 意気込んで御案内の鱒沢舘が終了、近くでもある綾織の二日町駅付近にある谷地舘跡をご紹介、現在はすべて廻りが水田地帯、当時の痕跡を探し出すことはできないものの、縁の神社が鎮座する一帯が若干土が盛り上がっている点にて、この場所が中心だったのでは・・と推測して所用時間10分で次の探訪地、同じく綾織新里の西風舘に突入となりました。

 
 前回同様、西風舘へは九重沢〜土室・鷹鳥屋に通じる林道から攻城、何度か進入路を導き出そうと試みるもすべて的外れ、根性無しの性格からか、断念していた舘でもあります。第二回の遠野オフ後、意を決して単独攻城を果たした因縁の舘でもありましたが、前回突入した際の目印がない、記憶と勘を頼りになんとしても攻城しなければならないという義務感にて、猪突猛進ではないが、とりあえず山中に分け入るといった感じで突入をする。確か50メートルも登れば道があったはず・・・がなかなか見つからない、50メートルどころではないっ100メートルまではないもののかなり登ったという感じ、ただし、きつい斜面ではない、さらに所々伐採もしており、けっこう歩きやすい、この舘だけは下ではなく天井といいますか、天を時折仰いで登るといった変なスタイルとなる、それは付いている道は電線の下にあり、まずは電線探しをしながらの山登りでもあるからなのです。
 なんとかそれらしい道を発見、空を見ますと電線発見、ここだということで一安心する私、睦月庵さんはかなり辛そうな顔で後から登ってくる。以前の城探訪でも虎のように斜面を駆け上がる虎猫氏とご紹介を受けたが、今回、この舘に関してはその勇士の一端をのぞかせたかな?なんて自己満足に浸っておりました。まずはここまでくれば一安心、後は道沿いに行けば数分で到達できるところでもあります。
 途中、空掘らしきものがあって、睦月庵さんも確認、「空掘」との見解、間もなく頂部の平場であると確信すると、「ありました」二本目の西側の堀跡、若干の藪で画像でみれば何なのかはわかりづらいものかもしれない、さらにもう一本、こちらはどれよりも大きいのはわかるもさらに藪が堀全体を覆っている。背面の芝生に覆われた堀跡も確認、以前の調査では背面は四重の堀で守られている。今回も確認のため、さらに鱒沢舘ほどにないにしても結構大きい堀が存在しているので、睦月庵さんにも見ていただきたい、しかし藪だらけの堀を下って登って、それが三重、また斜面どれも堀底からでは7mはある、正面突破も難しいが迂回するとなればまたもや山登りが待っている。しかし前回私は迂回により背面の堀切を確認、「どちらも疲れますがどうしますかの問いに今回はご遠慮しますかね」・・「う〜ん仕方ないですね」ということで、今回は背面の探訪はなし、しかし、主郭下の平場が点在している光景を発見する。前回は木々のため確認できなかったが、今回は木々が伐採されているため、難なく発見に至る。それに興味を覚える形状でもある。
 睦月庵さんもたいへん興味を示されている、急斜面に段上の平場、中央が窪んで左右にその平場が配置されている。攻め寄せる側はその中央を這い上がってくると左右から矢の攻撃、中央からは石や大木の攻撃、攻撃側はたまったものではない、まさに遠野随一の一族とされた宇夫方一族の居舘であると関心する。
 しかし、これほどの防御を有する舘であっても、一夜にして一族壊滅の戦いで落城したといわれる西風舘、いったい当時どんな戦いがあったのか、推測しても余りある名残ある舘跡でもあります。
 睦月庵さんの遠野舘めぐりも一気にヒートアップ、しきりに「なかなかですね」の言葉が聞かれるたび、御案内の私も充実感が感じられるといった前半部分の舘探訪でもあります。


 さて、この西風舘探訪後昼食と考えていた。しかし、予定より30分早く終了。当初は遠野風の丘でランチと考えていたが、本日は連休中、おそらく東北でも名うての集客力を誇る道の駅遠野風の丘は、物凄い混雑であろう、しかも車が入れるかどうかもわからない、そこで昼食は鱒沢でということにして、翌日探訪予定の鱒沢の高舘を組み入れることにし、睦月庵さんも了承。なんたって八戸に縁ある南部師行が軍勢を率いて遠野郷に来て、高舘にて合戦をしたといわれる曰く付きの舘でもある。(あくまでも言い伝えのみ)少し興味ある舘という雰囲気は十分に睦月庵さんにも伝わったものと思います。これだという遺溝等はございませんでしたが、平場であろう八幡神社境内の満開の桜をみただけでも雰囲気は十分、それでも時計は正午を少し過ぎただけでありました。

 これにて初日の午前の部は終了、鱒沢駅前の某食堂にて腹ごしらえ後、いよいよ午後の部、私の住む松崎町駒木地区の舘跡探訪と相成りました。
 少し疲れた身体の充電も終了、いよいよ午後の部のスタートである。途中国道脇の道の駅風の丘を横目に見ると、予想通り物凄い車である。遠野方面からの車は渋滞道路脇、別道路まで駐車の車で大混雑、昼食場所にしなくて大正解であった。
 さて、マイカーは私の住む駒木地区に突入、謎で幻の舘である駒木舘探訪である。悪路を高楢山方面に走らせ・・・というより山間悪路である。落石に注意を払いながらいよいよ到着。普通車での進入は不可能、車なんか入りこめない場所でもあり、山菜取りとテレビ中継等の定期点検の人達、山林所有者位しか来る事のない場所でもある。堂々と道の真ん中に車を止め、探訪開始。
 まずは背面の堀の確認、さらに二重になって駆け下る空掘、頂部平場、段状の数段にわたる平場を御案内。睦月庵さんはしきりにカメラのシャッターを切ったり図面を書いたりと忙しそうである。「これは難しい舘ですね」の声、前回は舘下部へは降りなかったが、今回も上から覗いて終わりか・・と思ってましたが、睦月庵さんは何かにとり付かれたように下り始めている。私も後から付いていくと、ななんと・・・縦堀を発見、さらに南側から真横に走る空掘もあるではないか、これは新発見、前回二度の調査をしているがこれは知らなかった。あらためて郷土の舘跡、人知れずとはいえ、凄いと思いました。・・・・ところが平場に真新しいジュースのペットボトル二本発見、この春のものか、それとも晩秋の頃捨てたものか、雪の下から出てきたというか、割と汚れの少ないペットボトルである。これは我々の他にこの舘の場所を探訪した者がいるのか、それとも山林所有者或いは伐採作業者か?しかし、この舘跡に入り込んで休憩もないと思われますので、やはり舘を見にきた誰かがいたのだろうと思っております。人知れずの舘跡、誰かが入ったとしてもそれでも数人単位、まだまだ知られざる謎の舘には違いない。
 ところでこの高楢山近辺、遠野でもトップクラスに入る熊の出没地帯である。くれぐれも単独にての探訪、グループであっても十分に気をつけていただきたい場所でもあります。私も今回からは単独での駒木舘探訪は行なわない所存でもあります。



 駒木舘の後は私の住む集落、まさしく地元である下駒木へ・・中世遠野統治の出発点である阿曽沼館の探訪である。現存する遺溝はありませんが、古に舘があったという雰囲気は十分、形状からも舘であるという睦月庵さんのお墨付きも得て、舘内、その外周も車ですが探訪、かくして一応の本日の舘めぐりは終了となりました。
 しかし、時間がまだ3時前、この近在、割と近くの舘跡の準備はしておりませんでしたのでとりあえず附馬牛町の大出早池峰神社の御案内、さらに東北でも屈指といわれる東禅寺跡を御案内、特に南部家第13世の南部守行の墓所は是非ご覧いただきたいと思い御案内いたしました。案内柱には守行の他に12名の殉死した家臣の墓という説明、睦月庵さん曰く、13塚というのがけっこうあって、これもそのひとつであったのでは、街道沿いとかによく見られるものです・・・とのこと。言われてみれば昔はこの東禅寺を通って盛岡や遠野方面への主要街道でもあったということなので考えられないことでもある。しかるに南部守行に関しては疑問点もあるので、いつか機会があったら調べてみたい、そんな考えがないでもない。



 おまけの史跡めぐりも入れたが時刻は午後4時前、ここは早めに睦月庵さんには宿に入ってもらってシャワーでも浴びていただいて本日の汗を流していただくということにして一路遠野市街地を目指す。しかし、まだ陽も高く4時を過ぎたばかり、来遠前の打ち合わせでは博物館も観たいということもあって、急遽博物館の見学を追加する。
南部氏二割に遠野物語七割、その他一割といった説明をしていたが、遠野物語九割にその他一割といった感じ、遠野南部氏関連の展示ももっとあったと記憶していたが、甲冑と古文書の写し若干という感じで無きに等しい、ましてや阿曽沼氏関連は皆無である。遠野物語やそれに付随する民俗学は遠野の目玉でもありますから仕方ありませんが、今少し、遠野の歴史関連も充実させる、そういったことも必要ではないのか、遠野物語関連施設は他にもあって、かなりの充実ぶりだと私は思います。睦月庵さんも少しがっかりされておりました。一応私の言訳は、南部氏関連は城下町資料館に移されたものと思います・・・これです。


 さて、博物館見学も割りと早く終了、本日の宿、睦月庵さんもリンクしている「ホテル鍋城」さんに御案内、5時30分にお迎えに来るということにして、睦月庵さんはチェックイン、私は帰宅して着替え等をして嫁さん運転の車にて再びホテル鍋城さんへ、今宵は迎撃オフということで、まずは「あえりあ遠野」での語部を楽しんだ後、遠野名物ジンギスカンにて親睦という段取りでもあります。
 午後6時開演の語部、もう既に囲炉裏端には十人以上の方々が陣取っている。語り口の柔らかい語部さんでした。昔話は全部で記憶が曖昧ですが6話だったかな?無論地元人たる私は全部理解できるし、南部圏内の八戸の睦月庵さんも理解できる遠野弁、ちょっと度忘れしたのか、緊張したのか語部さんが物語の佳境に入ったところで言葉が詰るといったアクシデント発生、それでもなんとか持ち直して「どんどはれ」八戸では「ぺっこ」という言葉は使わないそうです。遠野では「小さい、少ない」という意味ですが、東北といってもそれぞれ微妙に地域によって違うのだな、方言もまた面白いと感じた次第です。

 さて、ジンギスカンにての親睦、今宵はその名も「じんぎす館」羊は初体験に近いという睦月庵さん、家族でもあまり肉は食べないという家庭なそうですが、ジンギスカンがこれほど美味いとは思わなかったという言葉をいただき、なんとかおもてなしも大成功、生ビール、どべっこ、酎ハイと続き、話も弾みかけましたが、このじんぎす館、遠野外からの方々で大盛況、待っている方々もおり、観光客の方々のことも考え、次のお店に移動、いつものことですが、いただいたお土産を忘れるといった大失態を演じ、またもや、じんぎす館へ逆戻り、忘れ物はきちんととっていてくれてたいへん助かりました。飲み直しの後は盛岡冷麺、さらに知り合いの店で生ビール一杯ずつ、これにて夜の部の懇親会は終了、時間は午後11時近くだったと記憶しております。
 充実した舘めぐり、さらに夜の部での歴史話し、第一日目は成功裏に幕を閉じました。



 翌日、第2日目、大槌〜住田〜宮守・・と探訪となりました。
 笛吹峠越えでは仔鹿と遭遇、住田世田米でも鹿と遭遇、本日は鹿日和か?・・笑
 橋野の中村判官堂をみて大槌城を見学、まさに上閉伊最大級の城、難攻不落にふさわしい構えを堪能後、遠野の上郷へ、義経関連若干探訪後、昼食、午後は赤羽根経由で住田町へ、気仙郡内の舘を見学後、国道107号にて宮守へ、そして今回最後の探訪、宮守達曽部舘を探訪後、花巻駅まで睦月庵さんをお送りして解散となりました。



5/1・・・鱒沢舘〜谷地舘〜西風舘〜高舘〜駒木舘〜阿曽沼館
     早池峰神社〜東禅寺跡〜遠野市立博物館
5/2・・・中村判官堂〜大槌城〜柏舘〜風呂家、駒形神社〜平田砦〜外舘城
     〜世田米城〜達曽部舘

大槌城主郭

中村判官堂・・釜石市橋野

 遠野郷舘めぐり・・別名遠野郷攻城オフ会第三弾・・・
 第一弾は、東京都の稲用氏をお迎えして、2003年春に開催、第2回は稲用氏、八戸市の睦月庵さんをお迎えしての開催しております。
 いわば拙サイト、そして私とは北奥羽史関連のよき協力者であり、研究仲間といっても過言ではないと私は思っております。
 彼らとはここ3年の間に数度お会いして、会うたびに新しい情報、意見交換を行い、盃を交わし親交を深めております。
 今回は、睦月庵さんをお迎えしての遠野郷舘めぐり、それプラス民俗的な内容、その他の史跡も交えて御案内となりましたが、今後も遠野やその近辺の城跡探訪にその他の史跡、名勝を織り交ぜながらご案内と考えております。
 第4回は、まだ未定ですが晩秋の頃か、それとも春の今時期になるか?いずれにしても今後も続けていきたいと思っております。
 遠野郷、その近辺の舘、歴史に興味ある方々のご参加も歓迎いたしますので、その際はお知らせください。

 まだまだ管理人たる私も未踏の舘がけっこう存在しております、これらもご紹介しながら今後の舘めぐりの候補としたいと思ってます。


2005・5月・・・・虎猫
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