えんでJENGO
(飯豊じぇんご)
松崎じぇんご
番外の番外編

土淵町飯豊地区の風景
| 遠野市土淵町飯豊・・・沿革 |
| 岩手県遠野市土淵町飯豊地区の歴史考察及び民俗のご紹介 簡略の記述のみです。 |
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| 神社・祠・石碑 |
| 狭い地域ながら、神社、祠の類が多く点在している。また石碑も路端で遭遇できる地域でもある。 なお、神社、祠関連は、把握できておりませんが、熊野社、稲荷社、羽黒堂、阿弥陀堂、山ノ神等・・・・、あらゆる社、お堂が鎮座しておりますが、遠野地方においてもこれほど社、お堂、祠が山野、道端含み民家の敷地内に数多く祀られている地域はない、大袈裟ながら道端を歩いていると3軒にひとつは存在するのではと思うほどでもあります。 この飯豊地区の民俗的部分は、遠野全体を凝縮或いは縮小された姿に思えてなりません。ガイドブックに掲載されない内容、地域でもある土淵町飯豊地区、興味ある方は直接お訪ねになってもよいかもしれません。 |
| 史跡(舘)考証・・・中世編 |
| 中世遠野、その中での土淵町関連では、栃内舘、山口舘、柏崎舘、角城舘、五日市舘、阿倍屋敷・・等の史跡があり、詳細は不明ながらもその遺溝も確認でき、後世の資料ながらも舘主や時代背景も若干把握できるといった状況でもある。 では、飯豊地域は誰が支配していたのか、その舘は・・・?、宮澤舘、飯豊舘、大将舘(屋敷)の記述等が郷土資料に散見されているが、全く雲を掴むような内容で、中世での飯豊地区の姿は皆目見当もつかない・・・。 そんな中、ふたつの史跡が言い伝えながらあるとされている。その二つの史跡の関連性含み私なりの考察をいたしました。 |


飯豊からみた早池峰山と薬師岳
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神社、お堂、祠関連の一部を画像にて掲載。
詳細はまだ把握しておりませんので画像のみ掲載中
| 大将舘(大将屋敷)跡 飯豊と青笹町沢田地区との境目付近の山野にその舘はあったと伝承されている。 いつ、誰が・・ほとんど不明とされているが、郷土史料の中での説として、安倍時代の築舘との見解がある。 画像での右部分の山野を含む、一帯がその舘跡とのことであるが、往時を偲ぶ遺溝、その痕跡の特定に至っていない。 後に舘主の末裔とされる菊池采という名が郷土史料に記述されているが、阿曽沼時代、菊池一族の誰かが居たのだろうか。遠野物語拾遺267話に青笹臼舘の舘主と飯豊舘の舘主が合戦をしたという言い伝えがあるが、飯豊を治めていた舘主は青笹方面まで勢力があったかもしれない。 |
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大将舘(大将屋敷)
舘主、年代共に不明
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| 中世の飯豊を想像するに、それなりに力を有した武家がいたものと思います。遠野物語拾遺に収録されている臼舘との戦い、臼舘とは阿曽沼氏家臣といわれる菊池成景という武士が青笹町中妻地区を中心とした地域を領有していたとされる。後に大いに繁栄し、上郷方面へ勢力を拡大したと伝えられる。 この菊池氏と合戦に及ぶということは、飯豊を治めていた武家は青笹糠前あたりまで進出していたものと想像もされますし、逆に臼舘側に侵食されていたかもしれません。 いずれにしても伝説的な部分ではありますが、史実は闇の中、折をみて本格的に調べてみたいと考えております。(難解ですがね) |
| 伝統芸能・飯豊神楽 |
| 遠野の神楽は大きく分けて、神人神楽(しんとかぐら)と山伏神楽の二つの系統である。遠野での神人神楽では大迫の岳神楽、大償神楽の系統を伝える大出神楽があって、その系統が多い。 飯豊神楽は、山伏神楽で、上組町駒形神社神楽(元禄年間)系から八幡へと伝わり、八幡神楽となり、八幡神楽からの伝わったのが飯豊神楽といわれている。 飯豊神楽は地元熊野神社の奉納神楽と伝承されているが、一説には江戸期末の伝承、八幡神楽から伝えられたのは明治初年ともいわれる。 |
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遠野郷青笹しし踊り、というよりもそのうちのひとつ糠前しし踊り(青笹町)の創始者、嘉兵エの墓