綾織越前広信
知られざる遠野郷人物伝


あやおりえちぜんひろのぶ
 現遠野市綾織町出身とされる、綾織(藤平)越前広信は、戦国時代、現滝沢村地域(岩手県岩手郡)に灌漑堰をつくり、その堰は現在でも越前堰とよばれ現存し、なおも農業用として使用されているといいます。
 地元にもたらした功績は大なるものであるが、この綾織越前とは何者なのか、残された史料は乏しく、伝承のみで数百年語り継がれてきた内容ながら、各書籍及び私の推測にて記述いたします。
越前堰
越前堰由来説明碑・・・滝沢村大釜字千ヶ窪 由来説明碑付近の越前堰
田村神社付近の越前堰・・・滝沢村篠木 滝沢村鵜飼付近
越前堰碑及び綾織蒼前社を祀る清雲院(曹洞宗) 綾織蒼前馬頭観音堂・・・滝沢村篠木、清雲院境内
綾織越前広信顕彰碑・・・由来説明碑と同場所
岩手郡滝沢村
清雲院にある越前堰碑
 地勢は、岩手山からはじまり、小山が高くなったり低くなったりして、だんだん平らで広くなって、雫石川に向って傾いている。
 ここの西北に、雫石村、滝沢村が位置している。東南には厨川村が見下ろせる。
 大釜、篠木、大沢、土淵の諸部落は、今岩手県の南岩手郡に属している。この土地は、昔は田畑が開けていなかった。そのためすこぶる貧乏な村だった。村の人に「越前」という人がいて、村が貧乏なことを心配していた。何時も地形や地勢を詳しく調べていた。
 考えること数年、ある日心を奮い起して言った。
 今の土地は雑草が生え、広々としているけれども、小山を背負っていて地面は平らで広いし、肥えた土地になる条件を持っている。ただ、水利の便がないだけだと。
 自ら意を決し、山や谷を歩き回り、遂に岩手山麓の持籠森に来て水源(湧口)を見つけ、これを用うべしと言った。地形の高低や険易に応じて堰や溝を掘り、或いは曲げたり、或いは迂回してつくった。
 長さ32キロメートル余である。こうして、遂に我村に水を引くことが出来たという。今、越前堰といわれているのはこれである。それ以来380余ヘクタールの水田が開かれた。
          一部省略
 
越前の居場所を綾織といって、篠木にある。今は、寺があって清雲院という。しかし子孫がおるのか、また戸籍も見当たらない。その年代や事績を詳しく云うことが出来ないのは残念である。
          以下省略


                      正四位南部利剛 篆額
                         谷河尚忠 撰文
                         亀森影徳 楷書
                         久保清八 刻
越前堰碑文の意訳文・・抜粋
越前堰開削420年・簡易水道30周年記念誌
「越前堰四百二十年」越前堰土地改良区 刊行
より一部抜粋、参考とさせていただきました。
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本題となる綾織越前広信の考証へ
明治23年(1890)4月
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