大沢不動宵宮・御神酒あげ2004と 下駒木、上駒木籾穀会
8月12日、残暑厳しい晴天の中、今年も駒木地区の旧家、屋号「判四郎どん」が別当を務める大沢不動尊の宵宮が執り行われ、午後3時、福泉寺住職、副住職、はやちね食堂ご主人、そして私、私の長男(中一)の5名が先発隊となり、お堂の掃除、焚火、宵宮全般の準備のため出発。
別当さんも例年は一緒に行くのですが仕事の都合で第二陣として夕方来ることになりましたが、それでも別当さんは当日の早朝に現地に赴き登山道の下草刈りや整備をしたようです。

画像は、大沢不動尊堂入口の鳥居
先発隊、到着。午後3時30分頃・・・
お堂は、鳥居より上方、約200mの距離にございます。

画像は、先頭を行く福泉寺副住職
先発隊5名、無事お堂に到着。
最後尾は私でして、先頭の方々に遅れること約5分・・・実はこの夏に股間節を痛め、ようやく治ったところでしたが、それでもまだ違和感もあり、ゆっくりと登って来たしだいです。
お堂の東側、画像の右側には、歴代福泉寺住職の修練の場となっている大沢の滝がございます。この日も住職は全裸にて滝に打たれ身を清めておりました。

画像は、一年ぶりに開け放たれたお堂と焚火の準備をはじめる先発隊
焚火の準備は、はやちね食堂のご主人と私、お堂の掃除は副住職と私の長男と分担に各々分かれて準備に入りました。お堂には住職、別当さんが泊り込む予定でもあり、焚火は翌朝まで燃やす分を準備、さらに本日のご馳走は手っ取り早い串焼き風を食堂のご主人が準備し別場所にも簡易的な焼場を設営、私はまずは今夜の飲物類、自分の分と後発隊でくる家族の飲物を裏の沢水にて冷やしました。

画像は、沢水に浸かる某メーカーの缶ビール等・・沢水は冷たく、そのままでも飲むことができます。
お堂の掃除もひと段落、住職さんは大沢の滝にて身を清めている最中、我々は別場所の焼場設営、本筋の焚火の調整と夜に備えて余念がない。
午後5時40分、後発隊7名が到着。ビール等の飲物さらに充実、またおにぎりやつまみ類といった主たる食物が加わり、仮にこの山奥で遭難してもなんとか数日は生き延びることができそうでもある。


画像は、第二陣到着の様子。
試しに焼いた串焼き・・・・イカ、肉と夏野菜、秋刀魚と夏野菜・・と組み合わせも色々、試しということで読経前に先発隊で味見をいたしました。
午後6時、別当さんも到着。例年の通り定刻に宵宮のはじまりである。福泉寺住職による読経により皆手を合わせる。
この時点で総勢13名。
20分程度の読経も終了。いよいよお神酒をまわし、持ち寄った料理と共に串焼き各種も振舞われビール片手に心地よい時間を過ごしました。
6時30分を過ぎますと、地元出身の方々、8名(子供含み)さらに地元の方、1名も加わり今年は総勢22名、ここ数年では賑やかな宵宮となりました。民謡を趣味とする方々もおり三味線が山奥に響きわたり民謡の数々が披露され、ローカル色の強い宵宮ではございますが、今年はお祭りといった感じの賑やかな内容でもありました。
午後8時、いつもの年より少し早いのですが福泉寺住職さん、別当さんを残し全員山を下り宵宮は終了となりました。画像は花火に興じる子供達
画像はお堂西側の様子・・・うっそうとした林です。
今年は例年になくけっこう参加者がありましたが、地元からの参加者は年々減る傾向なようです。特に子供達の参加が少なく、昔はアウトドア的な事柄にて楽しみながら地元の少年達が多数参加しておりましたが、最近は私の子供達と地元出身の方のお孫さんが主にもなってきております。
当地区に昔から伝わる伝承行事、別当さんや福泉寺にて伝えられて今日に至ってはおりますが、将来はどうなるのだろう・・と少し心配もしております。こういった伝承行事、私も含め、皆でなくさないよう取り組んでいかなければならないと思うところです。
 毎年恒例である地域の伝承行事「大沢不動尊宵宮」旧暦6月27日の前夜、本年は8月12日に松崎町駒木の妻ノ上大沢、別名倶利伽羅峠にある大沢不動尊堂にて宵宮、翌日13日は御神酒あげを福泉寺客殿にて行いました。

大沢不動尊に関しては昨年(2003)大沢不動尊宵宮としてトピックスコーナーに掲載しておりますので、ご参照願います。
大沢不動御神酒あげと籾穀会
平成16年8月13日(金)旧6月27日午後1時
法門山福泉寺客殿
前夜の大沢不動の宵宮につづき、翌日は祭礼というべき御神酒あげが大沢川流域の地域、上駒木、下駒木のふたつの集落の方々によって執り行われました。上下両駒木集落約70戸、今年はその半数の約30戸から35名の参加となりましたが、最年少参加者は私、私の親父より先輩の方々の参加が目立ち、若い世代への受け継ぎ等がまだまだ進んでいなくて、良い意味では先輩方が健在であるという点、反対にこの方々が出られなくなったらもっと参加者は減るのではとも危惧されることでもあります。
午後1時との案内でもあり、私は早めの午後12時30分に会場入り、当番である今年の役員さんとその家族の方々数名が既に来ており受付をしておられました。
三々五々、地域の皆様が集まりだし、福泉寺住職が会場入りするとすぐ読経がはじまり、祭礼がはじまりました。
読経も終了、上座には大沢不動の別当さん、福泉寺住職さん、当番役員3名、計六名が席に着くと別当さんの音頭で乾杯、上下両駒木地区の懇親会がはじまりましたが、普段あまり付き合いのない先輩方と若干話す機会でもあり、地域の流れ的な事柄を感じるには絶好の場でもありました。
午後3時過ぎ、流れ解散となりましたが、噂では数人一升瓶を数本立てて夕方まで飲み続ける豪傑もいると聞き及んでましたが今年は皆早々に撤退となりました。お盆入りの13日ということもあり公私共に忙しかったと思われます。
 大沢不動を源する大沢川は昔から駒木地区の生活用水、農業用水として地域の人々の生活とは切り離すことができない位置づけでありました。
 大沢不動は大沢川水源地に位置し、強いては駒木という地域を守り、農作物の収穫に寄与する大切な存在だったと思われます。大沢川流域の上駒木集落はもちろんその下流域の下駒木集落においても一年に一度、お不動さんをお参りし秋の収穫を祈り、地域や家族の安泰を祈願していたものと思いますが、別当さんを中心に集落では当番役員を年毎に各家が持ち回りで務めるといった慣わしでもあります。当番となった家は御神酒あげでの会計全般、懇親会の準備等をしなければならずその家の主人だけでは到底出来ないことでもあり、家族で事にあたるといったたいへんな役でもあります。
 当番が回ってくるのは数十年に一度、その代で多くて二度程度でもありますが、いい悪いは別としてこれもひとつの伝承でもあり、地域生活を営む上では必要不可欠でもあると私は思います。
 同じ例が地区内の矢崎集落でもあり、母也明神祭礼でもみることができます。

籾穀会(もみこく)
 
 大沢不動の御神酒あげと併せて。上下両駒木集落では、昔からのいわば共済自主事業というべき「籾穀」という制度を伝統的につづけております。
 私は今回はじめて大沢不動の御神酒あげに参加したのですが、籾穀という集まりも兼ねているとは全く知りませんでした。

 籾穀とは、昔、飢饉や自然災害などで米が全く収穫できない家に集落内の各家から籾いくらといった助成があったとされ、それが後に役員となった家が一括で集め、対象となる家に助成したとされ、さらに近年は現金化となり、集落内外の火災、災害で損害が出た家へのお見舞金へと代わり、また時折他地域から当集落内に移住した方々へ当座の生活費の一部として現金を貸し与えるという制度でもあり、当然、集落内から他地域へ引っ越す場合は現金を返して引っ越すという制度でもあるようです。
 
 大沢不動の御神酒あげを行っているふたつの集落で立ち上げた伝承的な意味合いもあって籾穀の総会兼お不動さんのお祭りといった内容でもあります。
 当番役員は2年任期で、こちらも集落内持ち回りで数十年に一度回ってくるものですが、途中から順番がわからなくなったということで、前任者は3年務めたということで本来の役周りに戻すべきとの提案もありましたが、それでも皆順番がわからないという始末、わかっている方はわかっているものと思われますが、誰もこうだと発言する方は居ず、新参者の私に白羽の矢が立てられ、地域に貢献できるチャンスでもあり、また伝承行事に何かと関ることもできるといった自分を納得させる理由を無理やり見つけてお受けいたしました。
 仕事内容は年一度の総会を兼ねた大沢不動御神酒あげでの会費徴収、簡単な会計報告、後は欠席者からの会費徴収と銀行への預金、そして万が一災害が発生した際のお見舞金支給となります。
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