南部氏縁の地を訪ねて
その壱
遠野南部家故地、青森県八戸市(根城・櫛引八幡宮)
遠野南部家、遠野転封の旅(八戸〜)
2003年10月10日 青森県八戸市訪問 櫛引八幡宮  八戸根城
櫛引八幡宮  青森県八戸市
2003年10月10日、遠野の自宅を午前7時頃出発、国道を一路盛岡方面へと車を走らせ、東北道盛岡南ICより高速道に入り北へ向かう。
途中のSAやPAで休憩、食事をし、八戸道へ乗って午前10時頃八戸ICで高速道を下り、一般道にてまずは櫛引八幡宮へ向かった。
櫛引八幡は遠野ともゆかりの深い神社であるが八戸自体、遠野と関わりが歴史的に深いものであり、遠野人なら一度は訪れてみたいところでもある。
まずは本殿にて拝礼を行い社務所受付にて櫛引八幡宮所蔵の宝物、国宝、国宝級の甲冑の見学を申し出る。
きれいな巫女さんに案内され、社殿の隣の宝物殿へ入館、写真撮影の件を懇願したが、事前の許可が必要と説明されたが、少しだけ懇願すると共に岩手県遠野市から来たと告げるとフラッシュをつけなければ良いかもしれませんと態度が柔軟になりました。当地と縁の遠野はけっこう強い味方になると感心したしだいです。
いよいよ、甲冑とのご対面、それと同時に案内のテープが流れ、その音声の説明に合わせながらじっくりと宝物である甲冑を見学する。気になるのは国宝白糸威褄取鎧、中央に配置されているこの甲冑、見事という他、感想はないといいたいところではあるが、その価値はさぞ貴重ですばらしいものではありますが、甲冑ファンではないのでいまいちピンとこない、さらに南部氏ゆかりの品であるということではありますが、最近の調査では菊地武義という武将の奉納ともされ、このことがひとつのひっかかりでもあり、ガラス越しにその何かしらの証拠を探してみたのですが、ガラス越しではどうにもなりません。よほど係員の方でも呼ぶか、社務所にいってその云われを聞いてみたいとも思いましたが、ひとつの所伝でもあり、通説として長らく伝えられてきたものでもあるので、今回は見学のみにとどめました。(甲冑の画像はパンフレット等掲載の画像をアップ)  後で指摘されましたが「白糸威肩赤銅丸」が菊地武義によるものなようです。
全部で五体の甲冑がございましたが、どれも歴史を感じさせられるすばらしいものでした。

10分ほど見学していると老夫婦が入館、場所を譲るように私は宝物館から出ましたが、流鏑馬神事を行う馬場の場所を聞き、その場所に移動。
幅2m程で長さ100m程、さらに先が少しカーブしており周りは木々がけっこうある、まさかここが・・?後で聞いたらこの場所であり、遠野八幡宮の馬場と比べると雲泥の差、これでは3射は難しいだろうし、先のカーブも気になる。これも後で聞いたら1射目か3射目は決まって外すことが多いとか、それでも長年の伝統で旧8月15日の祭礼に遠野から流鏑馬保存会の面々が来て流鏑馬神事を行っているそうです。話には聞いていましたが遠野と八戸の縁、またしても肌で感じた次第です。(画像に収めたのですが何故か写ってませんでした)
(櫛引八幡宮縁等はコンテンツ櫛引八幡の項を参照ください)
その後、境内を少し散策し次の訪問地、八戸根城へ向かいました。
八戸根城本丸と本丸主殿

時間は定かではありませんが、11時頃、根城公園に到着。まずは城跡の東側の門付近にて案内板を見ておりますと、すぐそばのプレハブの建物から黄緑色の上着を着た中年の男性が近寄ってきて、「ご案内しますか」と声を掛けてくださいました。つづいて近くにいた同じ服装の中年の女性も来て、自分たちはボランティアガイドであると告げられました。なるほど・・その建物にはボランティアガイドの看板が掲げてあり、無料でご案内するとのこと、私は遠野から来たと告げますと、「遠野の方にガイドするのは緊張しますね」と男性が一言、女性はついこの間、遠野へ行きましたとにこやかに話してくれましたが、まずはじっくり自分のペースで見学したいと考えてましたので、丁重にお断りして、城址内に突入いたしました。
実は以前も来たことがあって本丸は料金がかかるということで、手前の広い場所のみ散策しただけで帰ってきた経緯があって今回は是非に本丸も見てみたい、そんな思いもありましたのでまずは一路、本丸目指して歩き始めました。途中、お会いする関係者、掃除の女性だったり見学者を案内するガイドさん達、皆さん「ご苦労様です」「こんにちは」と声をかけられ、たいへん気持ちが良いものと感じられました。
道すがら、各所ではテント設営や椅子や机の搬入がされてまして、八戸行きの直前に知ったのですが翌日11日は根城まつりがあるとか、その準備作業の一環であろうと想像されます。

木柵で囲まれ、橋がかけてある手前に料金所があって、ここで博物館共通の入場料を購入、確か400円だったような、城跡隣接の市立博物館も以前見学したことがございましたが、どうせならもう一度、ということで共通券を購入、いよいよ本丸突入となりました。
主殿
来客の接待、儀式等に使用したとされています
主殿の一室には武者人形で根城南部氏重臣による儀式の風景が展示されております。その中での各重臣の席割りの説明板。
南部政栄(第18代八戸政栄、戦国末期)
いよいよ本丸突入、当時は水堀だったされる堀の上に架けられた橋、戦時は簡単に橋を取り外す構造となっていたとされますが、その橋を渡り、門をくぐって本丸へ・・・、順路に沿ってまずは主殿の中へ靴を脱いで進入。各部屋をのぞきながら、座位の武者人形が8体がある部屋を見学、説明板によると正月の儀式だったような、遠野でも現存する姓名が掲示されてて少し思わず「おっ〜・・」となる。
建物を一回り、前遠野市長から贈られた品を発見、あらためて遠野との縁をまたしても実感、それにしても随所に遠野から贈られた品を展示してあり、この姿勢には感心させられます。
その後、靴を履いて表に出、北側、西側の堀跡を見学、かなり大きい、平城である根城は一度も落城はしたことはないという、この堀の存在はかなり効果があったのでは・・・?この後は周りの建物を外側から見学、見ているうちに本丸を出、中舘舘に到着、遠野へ移った八戸氏の遠野治世を幕末まで支えた重臣の先祖ということになりますが、敷地外にあるとされる新田舘、岡前舘が気になるところですが、敷地の端にある東善寺址が気になり、一目散にその場所に向かう、墓石らしいものがあってこれは間違いなく寺址と思いきや、どう見ても近年の墓らしい、おそらくは個人の土地を発掘して城跡を表したものでしょうから、一部に個人の墓があっても不思議ではありません。正味一時間程という根城での散策は以上となり、隣接の市立博物館へ移動、博物館は以前も見学したことがありましたので30分程の見学、一服したり書籍の立ち読み時間も併せて2時間の根城八戸南部家(遠野南部家)の探求となり、時間は午後1時30分少し前、根城を後にして少し遅い昼食を摂るため、まずは八食センターを目指して車を移動、ところがわかっていながら場所にたどりつけない、同じところを何度も通ったような気がしながら1時間も市内を走り回った末、以前フェリー乗場に行く途中で気になっていた新八温泉を発見、風呂好きの私としては汗ばんだ身体を流すのも食事もできると判断、早速車を滑り込ませ、結局5時までここで時間を過ごしてしまいました。
前遠野市長、菊池 正氏から八戸市へ贈られた清心の文字 遠野女当主、清心尼を表す事と説明されてますが正にそのとおりと思います。清心尼公は遠野から生まれ育った八戸の地を何度も思い出したことと思います。3百数十年を経てその思いが故郷八戸根城に帰ってきた思いがいたします。
市立博物館前の南部師行公(根城八戸南部第4代)の騎馬像。                 →
堀跡 ↑入口側     ↑本丸裏側
:結局、午後5時まで新八温泉で時間を費やしてしまい、またあたりは少し薄暗くなりだし、しかも夕方のラッシュも始まりかけていた時間帯、今夜の宿である第一ワシントンホテルをめざして車を走らせましたが、ラッシュに巻き込まれ、もう少しで着くというところで車は停滞、さらに救急車がすぐ目の前で停車、ますます混雑に拍車がかかり、その後、救急車が現場を離れても30分もこんな状態、おまけにホテル前で停車もできる状態ではなく、駐車場の場所もわからず仕舞い、左折可能のところで左折、さらに左折を繰り返すと指定駐車場を発見、なんとか駐車場に入ることが出来てチェックインしたのは午後6時頃、7時30分から現地の方々とのオフ会が予定されていましたが、それでもなんとか余裕の時間があって荷物を部屋に置くと、繁華街を一回り、結局ホテルに戻ってきてホテル内の居酒屋でまずは生ビール2杯、つまみ少々で粘って時間は7時15分、待ち合わせ場所である さくら野正面玄関前で地元八戸発信の城廻サイト「レオのホームページ」管理人さんの杉坂さんと待ち合わせとなる。
時間もキッカリ、杉坂さんらしい方が登場、私とすぐわかったらしくまずはご挨拶、通り一本を隔てたビルの二階の居酒屋に入り、まずは生ビールで乾杯。
杉坂さんとは城廻の逸話や今後の予定、また軽く南部家話等で少し緊張もほぐれてくる。遅れて参加すると連絡をいただいている「野崎径裕のHP」管理人さん、野崎さんへ電話を入れ、場所等を連絡、ほどなく野崎さんも合流、南部家話、さらには八戸広域の合併話などを聞くことができて、時間も11時、お店に閉店を告げられ店を出ましたが、二次会の声もなく、また私も言い出せないまま、今回のオフ会は終了。開始時間が遅れ時間的には短いものとなりましたが、興味ある話題で終始盛り上がったこと、なによりも交流的な事柄が出来たということはたいへん有意義でした。
杉坂さん、野崎さんにはお忙しい中、時間を作っていただき感謝いたします。
まとめ

今回の八戸訪問ではまずは遠野南部家の故郷、八戸にて八戸時代の歴史に触れるということと、また現地発信サイトの管理人さん達と交流がしたい、もうひとつは八戸から遠野へ転封の旅のルートを訪ねながら帰途につきたいの三点が目的でした。
まずはそのうちの二つをこなしたわけですが、はじめから櫛引八幡、根城の見学のみで済ませようとの考えてもあったので、時間的には余裕もあり、自分としてはマイペースでじっくり見学ができたと思ってます。時間に余裕があったら温泉とかサウナにも入って夜に備えようとの考えもありましたので、まずは思い通りということになります。
今回は現地の杉坂さん、野崎さんと南部家話を思う存分できたこと、これらの話から少し新情報も仕入れられたこと、また旧糠部郡内、すなわち南部領のつながりを考えさせられる八戸広域圏の合併話等、行政的な分野まで話が弾んだこと、これは私にとってはたいへん興味深い事柄でした。歴史関連では三戸南部(盛岡)氏の出目、結局江戸時代つくられた所伝が通説化している点にて話が合い、津軽との確執等、影の部分もお聞きすることができて大変有意義でした。
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国宝・白糸縅褄取鎧
.鎌倉時代作といわれ後村上天皇から根城南部氏第七代信光公が拝領と伝えられ、安東氏との戦いで戦勝した第十代光経公が奉納と伝えられている。
鎌倉時代作
長慶天皇の北奥羽下向の伝説によるところの長慶天皇御料のものと伝えられている。
鎌倉期作の甲冑としては最高峰の仕上がりとされ、春日大社の赤糸縅甲冑と双璧とされる逸品である。

国宝・赤糸縅鎧