| 遠野南部家時代開基の遠野の寺院 |
| 遠野江戸期及び遠野(八戸氏) 南部家関連の寺院他 |
| 寺院名・宗派・所在 | 創建年代 | 由緒・沿革 | 開基・関連人物 | 他 |
| 自在山 東善寺 初め「師建山」 天台宗→真言宗 甲州〜八戸〜遠野 |
明徳四年(1393) 甲州から八戸へ 寛永年間、遠野 |
遠野南部第四代師行公の代に創建され、8代政光公の代に山梨より八戸へ移ったとされる。22代直義公が遠野へ移った際に寺も遠野へ移り、鍋倉城に寺があったとされる。 後に三ヶ寺(善応寺、妙泉寺、東善寺)は東舘に移され明治維新後廃寺となる。 寺領110石 |
南部師行次弟 養堯法師 |
奈良長谷寺小池坊末寺 |
| 放光山 感応寺 黄檗宗緑樹派 新穀町(勇町) |
宝永2年(1705) 寛延2年(1749) |
遠野南部22代直栄(直義)の仮葬地跡に観音堂を建て、感応寺と称した。 延享2年火災で焼失、寛延2年再建。 明治43年廃寺(仙台市原町万寿寺と合併) 寺領15石 |
黄檗宗道心者 廓心 |
緑樹派 万福寺末寺 |
| 自証山 成就寺 真言宗 鍋倉山西南中腹 |
不明 寛永年間以降 |
遠野南部一族、新田氏の祈願寺であったと伝えられる。八戸氏(遠野南部)が遠野移封前に山伏万蔵坊の屋敷だったといわれ、山伏を転居させて寺としたものと伝えられる。 明治初年、廃寺となる。寺領20石 |
不明 | 東善寺末寺 |
| 孝安寺 祥雲寺 臨済宗妙心寺派 松崎町松崎寺沢 |
祥雲寺 明和8年 |
孝安寺・承応年間以前に廃寺となったと伝えられ、後に瑞応院六世越舟和尚が隠居所としていたが、改築等施して瑞龍山祥雲寺と称したとされる。しかし別場所にあったものか、同一場所にあったものか仔細は不明である。 | 越舟和尚 | 盛岡聖寿寺末寺、瑞応院別院 |
| 三ヶ寺 真言宗 |
元和年間 (1615〜1623) |
三ヶ寺とは妙泉寺、善応寺、東善寺の三寺院の総称。 妙泉寺と善応寺は元和年間、後に東善寺が移り、東館町現遠野小学校付近に三つの寺院が存在していた。明治維新後、廃寺となる。 妙泉寺と善応寺は「遠野阿曽沼氏」のコンテンツ内に阿曽沼時代開基の寺院総覧に記述あり(遠野・松崎じぇんご弐) |
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| 瑞龍山祥雲寺跡 遠野市松崎町松崎寺沢 |
祥雲寺の東方の峰に位置する経塚 松崎から矢崎に至る山道(旧道)の途中にある。 |
| 寺院名・宗派・所在 | 創建年代 | 由緒・沿革 | 開基・関連人物 | 他 |
| 岱岩山 徳昌寺 曹洞宗 附馬牛町上附馬牛 |
寛永11年(1634) | 附馬牛荒川山の草庵にはじまり、三度の移転後、現在の地に至る。 遠野南部家分家の附馬牛八戸氏の帰依厚かったといわれる。 |
重丹和尚開基 青笹の喜清院二世鳳山コウ彩和尚 |
喜清院末寺 |
| 日晴山 万通寺 真宗大谷派 青笹町糠前晴山 |
明暦2年(1656) | 上有住より来た祐正坊が近在にて念仏布教を勤め四日市に一宇を建立。彼が去った後、真宗の教えを一層広めようと願った同朋が現在地に堂宇を建立した。 | 僧順智 | 京都東本願寺末寺 |
| 久渓山 長松寺 曹洞宗 綾織町みさ崎砂子沢 |
寛永2年(1625) | 在地の人、及川弥平冶が草庵を建て本尊を安置して朝夕礼拝していたが、後に無住となるも大慈寺泰育の弟子、尊達を招いて住職とする。 遠野南部家重臣、新田義実の知行地内で新田氏の許しにて長松寺とした。 |
大慈寺11世 隆室泰育大和尚 及川弥平冶先祖 |
大慈寺末寺 |
| 岩滝山 聞称寺 真宗大谷派 綾織町みさ崎大久保 |
明暦4年(1658) | 同町宮野目に阿弥陀堂がその起源とされる。東本願寺に願って聞称寺の寺号をいただき、大久保に移ったとされる。 | 順了上人 | 東本願寺末寺 |
| 久沢山 光岸寺 曹洞宗 土淵町栃内 |
寛永8年(1631) | 常堅寺四世了室全達大和尚により開山。開基は知行主、遠野南部家重臣沢里主膳。 明治13年火災にて類焼して古記録が焼失したとされる。 |
開基 沢里主膳 了室全達大和尚 |
常堅寺末寺 |
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| 寺院名・宗派・所在 | 創建年代 | 由緒・沿革 | 開基・関連人物 | 他 |
| 福聚山 大慈寺 曹洞宗道元派 大工町 |
応永18年(1411) | 遠野南部氏菩提所 応永18年八戸に創建され、寛永年間、遠野南部氏(八戸氏)が遠野移封の際、大慈寺も移転する。はじめ松崎町駒木海上に置かれ、ついで松崎町光興寺(興光寺)に移り、万治年間(1658〜1660)に現在地に移り堂宇を建立。 八戸時代は八戸氏の菩提寺として寺領百石、遠野国替により50石に減じ、寛文元年に20石加増、寺領70石となった。南部家累代の墓所は昭和48年、鍋倉城二ノ丸に移つされた。寺領70石 |
竜伝恵全(金) 第9世寿心和尚 (遠野移封時) |
弘前宗徳寺の末寺 大慈寺末寺・・・ 対泉院(八戸)・柳玄寺・対泉院(遠野)・南陽寺(山田町)・長松寺・鳳仙寺(紫波佐比内) |
| 貴福山 対泉院 曹洞宗 新町 |
寛永4年(1627) | 遠野南部氏所伝によれば、甲州(山梨)で南部政長の次男、政持(新田氏)が康正元年に建立、新田氏の菩提寺であった。 新田氏第三代行親の時に八戸へ移り、第12代義実の時に遠野移封、現在の地には正保2年(1645)に移ったと伝えられる。 寺領30石(重臣新田氏から) |
大樹正棟大和尚 12世大雄蘭重大和尚 遠野南部家家老 新田弥市郎義実 |
大慈寺末寺 |
| 宝林山 柳玄寺 曹洞宗 新町 |
慶安4年(1651) | 本寺である大慈寺は南部家菩提寺であったため、他の入壇は難しいものであったが、大慈寺10世存心(真)は遺憾に思い、隠居後に大手門橋ほとりの隠居所に堂宇を建てて新しい檀家を募った。 後に11世泰育が八戸直栄(直義)の許しを得て柳玄寺として創建した。 |
大慈寺10世存心大和尚 中村、畑山両家 |
大慈寺末寺 |
| 鳳徳山 瑞応院 臨済宗妙心寺派 大工町 |
承応2年(1653) | 遠野南部家第22代直栄(直義)の娘が若くしてこの世を去り、その菩提を弔うために創建された。直栄嫡女は「お万姫」、瑞応院とはお万の方の法名。堂宇は明暦4年(1658)完成。寺領10石 | 盛岡聖寿寺大鉄和尚の弟子、沢室和尚 八戸弥六郎直栄 遠野南部22代 |
盛岡聖寿寺末寺 |
| 金光山 善明寺 浄土宗名越派 大工町 |
文禄年間 (1592〜1595) |
根城八戸氏第19代直栄の頃、創建。 八戸氏遠野移封により寛永5年(1628)に善明寺も遠野へ移り、はじめ阿曽沼時代開基の松崎の養安寺跡に入り、養安寺の寺号を復活、後に城下に移った際に善明寺の寺号に戻る。寺領10石 |
良恵善明上人 | 福島県 専称寺末寺 |
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| 金円山 常福寺 時宗 新町 |
正平22年(1367) | 言い伝えによると甲州神郷寺(根城南部第8代信光の頃)がはじまりと伝えられ、後に陸奥国糠部の八戸に移り、仏浜寺と称したが後に常福寺と改称した。 八戸氏が遠野へ移る際は、東善寺と共に一行の先導を勤めた。寺領95石。 鰐喰の鉦等の八戸南部氏関連の言い伝えを残す由緒がある。 |
淨阿弥上人 | 神奈川県藤沢 清浄光寺(遊行寺)末寺 |
| 寺院名・宗派・所在 | 創建年代 | 由緒・沿革 | 開基・関連人物 | 他 |
| 立福山 鳳仙寺 曹洞宗 紫波郡紫波町佐比内 |
寛文元年 (1661) |
遠野南部第22代、八戸直栄(直義)の正室、千代の方が盛岡で死去、当時、遠野南部家の所領であった紫波佐比内において荼毘に付せられ後に火葬の地をこの地に移して一寺を創建した。 | 八戸弥六郎直栄 大慈寺11世 隆室泰育大和尚 |
大慈寺末寺 |
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| 寺院名・宗派・所在 | 創建年代 | 由緒・沿革 | 開基・関連人物 | 他 |
| 北身延波木井山 智恩寺 日蓮宗 新町 |
明治22年 (1889) |
江戸期開基ではないが、遠野南部家との関わりにてご紹介いたします。 日蓮宗妙恩寺日忍上人が遠野を訪れた際に俄に新寺建立の気運が高まると、遠野南部第34代当主、南部行義の寄進もあり寺が創建された。身延山から北身延の公称を免許され別席寺院に列せられた。 |
日忍上人 日高上人 |
本山 身延山久遠寺 末寺 陸前高田妙恩寺 |
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