宮代館

松崎町の館跡

舘熟知度 V 舘規模 C
遺溝保存状況 B 難易度 V   その他
  舘(城)名 宮代館(みやしろだて) 別名 舘(たて)
  所在地 岩手県遠野市松崎町光興寺 宮代 
  現存遺溝 帯郭  空掘   竪堀      標高382m  比高64m
関連諸氏・人物 不明
築年代・使用年代 不明
  その他 安倍時代?
東部分の空掘跡(2重の内側) 東部分の空掘 2重堀
東部分空掘(上部から撮影) 北部分の堀切
西側部分の急傾斜地(竪堀) 主郭部の段差
主郭部の帯郭 南斜面
館の概要等
 地元では「館 たて」と言っておりますが、それ以外の呼名もなく、また伝承も皆無であり、あえて地名をとって「宮代館」と記述させていただきました。

 館跡は南北に長く、南側に緩やかに下る斜面となっており、東部分は二重の空掘、内側の空掘は主郭部背面の北部分で尾根を断ち切る一重の堀切となっている。

 西側は急傾斜で崖状となっていますが、人口的に手を加えられた雰囲気が感じられ、竪堀となっている形状も確認できる。

 山頂の平場にはL字型の帯郭、その他の段差も数段確認できるが、築年代が古く風化が激しく痕跡が薄れているのか、それとも途中で築館の工事を取り止めてしまったものか、どこか中途半端的な雰囲気も感じられる。

 さらに一時的な防御施設として使われた館なのか、2重堀やら西側の竪堀的雰囲気を残す大掛かりな工事の跡も感じられるも主郭部分や背面は何処か貧弱に思えてならない。

 館跡を調べた先人郷土史家によると、以前から館とよばれ、子供達の遊場でもあったという、地域に解けこんでいただろう館の存在にも関らず、何一つ館に関する伝承が残されていないのはどうしてだろう・・・。

 郷土史家達が考察するように安倍時代の遺物だろうか、それとも阿曾沼時代に築かれた館なのだろうか、後者の場合は極めて使用年代が短かったか、館跡の考察で私が感じたように途中で工事を取り止めてしまったものなのか・・・・。

 造りそのものは阿曾沼時代という雰囲気は感じられますが・・・・・・。
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