遠野藩政時代
遠野治世のこと
遠野南部氏が八戸から遠野へ国替えとなり入部した当初は、当主八戸弥六郎(直義)夫妻は、盛岡遠野屋敷にすぐ移り、以後盛岡住まいとなり、遠野の直接統治は、前当主清心尼と岡前宮内・比巻沢市兵衛・広田太郎兵衛・作田主水の重臣達に委ねられました。
後に一族で遠野留守家老、新田氏を中心に、重臣、中舘氏・福田氏・沢里氏の四人の合議制へと移行し、明治維新まで続いた。
遠野では歴代当主には、よくいわれる馬鹿殿様、専制君主と称される殿様は存在しないといわれ、町人・百姓からは怨声もなく善政を布いたといわれています。

遠野は表高1万2千5百石といわれますが、当初の実高は1万石で、時代が経つにつれて新田開発などにより、1万2千7百石余りとなったものです。



知行、俸禄について
初期の頃の盛岡南部藩では、知行地をもつ武家が大多数であったが、時代が下がるにつれて、現米俸禄へと移行する。
遠野でも本藩と似た傾向であるが、多数の家臣は知行地を戴き知行所の田畑を耕作する百姓と出来高の半分ずつの刈分を分けていた。
さらに知行で米一石につき一斗五升の所務(所得税)が差し引かれ、実収は三斗五升であった。
また、米価を以って禄を戴くのであるが、麦、稗、粟は米に対して二倍豆、蕎麦等は三倍を以って換算した。
米一石 知行田一反歩の収穫高を基準に換算
現 米 蔵米、御蔵から玄米で給付を受ける事
金 方 米によって給付を受けること(米五石に対し、金一両)
一 駄 御蔵米三斗五升俵で玄米二俵一駄
扶持米 一人扶持とは玄米1日あたり二合五せき支給される。(全国では五合を一人扶持)
御切米 知行地を持たない家臣で玄米を春と夏の季節毎に四分の一・冬に二分の一支給される
御切符 御蔵で交換できる藩札のこと
御台所扶持 厨房に司り奥方から戴く扶持米のこと
遠野南部家格式関係
御連枝方 殿様の兄弟で分家した方
御三家衆 遠野南部氏当主を先祖に持つ一門、家老職を世襲する家柄
永代家老格 代々家老職を継ぐことのできる家柄
百石並 先祖に百石以上の俸禄を食んで番頭、御物頭等の重職に就く上級家臣
騎馬平士 殿様の道中行列に騎馬できる中級家臣
御扶持士 知行地を持たない下級家臣
御切符 御蔵から引換えのできる藩札を戴く武士、女中
御給人衆 遠野館、盛岡遠野屋敷に詰める苗字帯刀を許された町人
寺院衆 殿様から喜捨をうける寺社
御免地面々 検断(町方取締役人)・肝入り(庄屋、戸長の村方)の役につき年貢を免除される者
御職人面々 御用を受け賜る技能職人
古人(ふるびと) 藩境の村々に住み、藩境界を監視する者
御同心 上・中・下の枡形に詰める下級足軽侍
御持筒同心 鉄砲方の下級足軽(中組同心)
戻る
南部氏トップへ
次へ
遠野南部領石高詳細
附馬牛南部家(附馬牛八戸氏)
遠野第2代弥六郎義長(南部義長)の弟・義也に附馬牛2千石を分知させ分家した家。
遠野南部氏に後継亡き時は附馬牛八戸家より後継するという一門の家であったが、義也が死去した後、嫡子も早世し、絶家になるところ南部藩重臣、北氏が遠野当主、義長室が娘だったこともあり、義長妻の弟、つまり北氏の一族が入って代々継承した。
いわば、なんの縁故もない北氏に乗っ取られた形であった。
女大名、第21代当主 清心尼公